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召天者記念礼拝

 8月11日(日)召天者記念礼拝が捧げられました。聖壇前に召天者のお写真を飾り召天者にゆかりの方々と共に、先達を偲び礼拝を捧げました。  召天者記念礼拝に先立ち「墓地委員会通信№13」が発行されました。加藤久幸牧師が執筆された巻頭言「何事にも時がある」が心に沁みました。 キム・フォップス・オーカソン作「おじいちゃんがおばけになったわけ」を取り上げ、高原則子さんの紹介文を導入に、愛する者との死別と残された者の再出発について言及されています。皆さんは「墓地委員会通信」をお読みくださったことと思いますので内容については申し上げませんが、感じたことを少々述べてみたいと思います。子供だった娘と、50歳だった夫がそれぞれ病死しました。あるとき、墓地に行ったとき牧師が納骨室を開けてくださり「どうぞ」と促して下さいましたが、入りませんでした。小さな箱を見たくなかったのです。「不条理な…」と思わずにはいられないのです。いつも、そうというわけではなく、穏やかな気持ちで「御許で安らいでいるのだから…」と思う時もあります。ある聖日に加藤先生が「召された人も、この世の人も生き方は違うけれど主イエスの下でともに生きていることに違いはありません」と言ってくださったことがあります。また、今回の巻頭言の最後に「私たちも、大切な一つを見いだし、行うことができるなら、たくさんの戸惑いから解放されて「さてと」と新たな次の歩みが始まって行くことになるのではないでしょうか。」とあります。絵本を読んでいないので、おじいちゃんの忘れた「大切なこと」が何かはわかりません。ネットでは見つけられませんでした。しかし、巻頭言を読んで思った事は「私はまだ娘や夫と本当の別れをしていない」ということです。それはいつ、どういう形でなのか分からないが、恵みとして訪れることを祈りたい。年ごとの召天者記念礼拝は、何度も、故人とのこの世での交わりと別れを確認し、恵みを乞いつつ、教会の扉を押して日常へと出発して行く日ではないかと思いました。 (H・M)