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「他者の祈りに耳を傾ける」     加藤久幸  

ファイル 351-1.jpg

思いが定まらない時、目の前に成すべきことがありながら向きあう気になれない時、そして、自ら祈れない時、私は他の人の「祈り」に耳傾けます。

思うままにならならい時に
神さま 夜に寝て 翌朝起きれば
また新しい元気にあふれた一日が
はじまるのだと ずっと若い時から
あたりまえのこととして生きてきました
しかし 一夜の眠りのあとで
朝がやってきても 疲れがとれないで
起きること 生きることが
苦痛としか思えない朝が いつの頃からか
私の人生にもやってきたのです
もう起き上がれない
きょう一日の与えられた仕事から
逃げだしたい 動けないという
いらだちと あせりの日々が続きました
思い通りにゆかない日々
生きることが思うままにならない時に
それでも 一日を必死に生きてきました
そんな苦しみと痛みにみちた歳月を通って
今 少しずつ 苦悩がうすらぐのを覚えます
あの苦しかった時は 私の人生に
何の意味があったのか
思うままにならなかったからこそ
自分の限界も 弱さも
思い知ることができたのです
他人の弱さや痛みに 少しでも
共感できる心を与えてくださったことを
今 心から感謝して生きています
(石井錦一「癒されない心の祈り」より)

他者の祈りを聞きながら、自分は今そう思えない、さりとて、自分の気持ちを表すこともできない、と感じます。しかし、その人の祈りに導かれ、その人のように、自分の心の向きが変わることがあります。自分を見つめていたことから、自分を見ていてくださるまなざしに心開き、語りかけてくださる言葉に耳傾けることができるようになります。一人の時こそ、祈りは大切かと想います。

 熱く燃える青春を            加藤久幸

「銀の匙(さじ)」(小学館)という漫画があります。2012年漫画大賞を受賞し、現在単行本で4巻まで出ています。中学生時代にいろいろあったらしい主人公の八軒(はちけん)勇吾は、寮があるという理由で大蝦夷農業高校(エゾノ―)に入学し、様々な出会いを体験します。

将来の目標が定まっているクラスメ―トに劣等感をいだきながらも、仲間や教師たちと、汗と涙と泥まみれの青春の日々を過ごしていきます。

入学の春が過ぎ、暑い夏が過ぎ、少しずつ「自分発見」を積み重ね、秋を迎えようとしています。さて、この後の展開は? 10月発行第5巻をお楽しみに!(私は小学館の回し者ではありません…)。
 
今年の夏、教会学校の中学生に、地区のアジア学院キャンプに誘ってみました。農業、アジア・アフリカとの出会いは強烈だろうなと案じつつも、中学生時代に心に残る出会いを体験してほしいと願ったからです。中学生の感想を見ると、労苦はありつつも楽しかったと、綴られています。  

「銀の匙」作者・荒川弘氏の学生寮の取材記録、「寮の食事に関する要望・感想ノートには、『肉!!!』とか『ラーメン!!!』とか『量を増やして!!!』といった魂の叫びが大きい文字で書きなぐられている。その中に、照れくさそうに、小さい文字で、『いつもおいしいご飯をありがとう』と書かれていた」とあります。

私は、今回参加した中学生に、「『銀の匙』という漫画を知っているか?」と尋ねてみました。短く「知っている」「読んでいる」と応えてくれました。その時、私はそれ以上のやりとりをせず、知っているのであれば自ら体験することが大事と、余計なことを言いませんでした。いつもゲームばかりしていると見られる中学生だが、聞いていないようで大事なことを聞いている‥。

アジア学院で、食べ物や有機農業のことを質問されていて、自分なりに一生懸命に応えている姿に感動しました。勉強も大事だけれど、感受性が豊かな中学生・高校生時代にこそ、「自分探し」のたくさんの出会いと体験が大事なのだと思いました。

命ほとばしる夏、今年の夏は教会の中学生も暑かった。熱く燃えるような各々の青春グラフィティの日々を過ごしてほしいと切に願っています。

心の中心軸                加藤久幸 

ファイル 332-1.jpg私は、今年度、天満町町内会9班の班長をさせていただいています(9班は輪番制)。「日曜日は、お務めがあるので動けませんが、そういう時は、助けていただいて、できることをやらせていただきます」と、引き受けました。「宗派が違いますので‥」とお断りする牧師もいると聞くのだが、私はそうは思っていません。

地域における繋がりは、とても大切です。隣り近所が助け合う「共助」は、防災のような緊急時にも、日常的にも、本当に力を発揮します。ただ、町内会の働きには、行政の下請けのようなものがあり、特定宗教に組み込まれた内容もあります。さらには、地域のことは何でも町内会に丸投げで、町内会がにっちもさっちもいかなくなることもあります。あまりの面倒くささに、町内会が成り立たない地域もあります。

町内会だけが地域の繫がりではありませんが、地域を取りまく情勢が複雑で、みんなが苦慮することも多いのでしょう。「話し合って協力する」民意が実現する、風通しのよい隣り近所のお付き合いでありたいと思います。

9月に、幼稚園の保護者会のプログラムで、フロアバレーが行われます。そのチラシに、こんな言葉がありました。フロアバレーは、「床の上で行うエクササイズで、無理なく安全に体を鍛えることができ‥特に、インナーマッスル(体の深部にある深層筋)に効果を発揮して、体の中心軸が安定して、姿勢が美しくなり、立ち姿が美しく、凛とした印象を与えられるようになります。」 私は、この文章を読みながら、「心の中心軸」ということを考えました。

そして、自分のことを、振り返りました。私自身は、地域で何かをするというより、助けてもらうことの方が多くあります。班長になり、いろいろ教えてもらうことと同時に、自分のことが周りに知られていくことも、増えたと思います。そういう、ゆったりした、しなやかな、お付き合いをすることで、互いの「心の中心軸」が安定する、そんな関わりを大切にしようと、願っています。

気がつくと、結果として、立ち姿が美しく、凛とした印象が与えられる、「キリストさん(キリスト者)」になっていたら、素適だなと思います。

「神の国」に預かる        加藤久幸

ファイル 315-1.jpg水海道教会会堂の正面右側の外壁に「1976年 定礎」というプレートがあります。今から35年ほど前に、水海道教会が、どのようなビジョン(幻)を抱いて、この地に移り、新たな歩みを開始したのかを想います。
 
2011年度の教会の活動の振り返りの一つとして、私は次のように述べました。「共に生きる『心』を育て、互いに繋ぎ合わされ、互いに生かされていく『能力』が培われますように。…また、そのように育っていくための機会や活動が与えられますように」と祈り、歩み始めました。

各会で行われた、婦人会の「吹矢の会」、青年会の映画会、中高青会のワークを取り入れたお泊り会、教会全体のミニバザーなどは、新たな取り組みであり感謝でした。これらのことを受けとめ、「互いに育つ、共に生きる」活動と施設をさらに整えていきたいものです。」(教会総会資料「教会活動の評価 3 互いに育つ、共に生きる活動を創ろう」参照)

これを踏まえ、2012年度の教会の活動項目に、「2『互いに愛する』交わり 『育ち合う』関わりを創りましょう」を掲げました。具体的な展開として、月1回程度の「食事会」「会食会」を行います。「また、食べることですか?」との声が聞こえてきそうですね。天国、神さまのもとで私たちがすることは神さまとの出会いと交わりだと、私は想います。その最たるものが、「会食」ではないかと想います。安息、平和、新しい力が与えられ預かる。神さまの支えと配慮を感じつつ、ゆったりとした時を過ごす。それは何と素晴らしいことでしょう。

私たちは、神さまの言と業を想いつつ、出会いや会食のプログラムに取り組んでいます。私たちが「やってよかった」「取り組んで楽しかった」と思えることがあるならば、それは「神の国」に預かる体験ではないでしょうか。この大事な時をさらに広く深く経験しながら、私たちの歩みを確かにしていきたいと願います。

「小さい群れよ、恐れるな。あなたがたの父(神)は喜んで神の国をくださる。」(ルカ11・32)。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ17・20)。イエスの示された世界を信じて歩んだ先達たち、私たちもイエスを信じて、私たちの新たな歩みを少しずつ着実に始めましょう。

、『声の文化』                加藤久幸 

ファイル 323-1.jpg最近、絵本や読み聞かせについて考える機会が、何度かありました。その関連で、今日は、礼拝の最後の讃美歌について書きます。
          *
 児童文学者の松居直さんは、本は「文字の文化」を象徴するが、絵本は「声の文化」に含まれると、述べています。そして、「話されることばは、‥人間の内部から生じ、人間どうしをたがいに意識をもった内部、つまり人格として現われさせ‥それゆえに、話されることばは、人びとをかたく結ばれた集団にかたちづくる。」(ウォルター・J・オング『声の文化と文字の文化』)と紹介した後、教会の礼拝について次のように語っています。
 
「教会の礼拝は、『声の文化』の真髄をみごとにあらわしているとおもいます。語られることばとして礼拝への招きのことばがとなえられ、会衆による詩編交読の唱和があり、聖書が朗読され、説教が語られます。共に心をあわせて祈る言葉として信仰告白と祈りがされ、その間に讃詠や賛美歌や頌栄が祈りうたわれ、最後が祝祷のことばで閉じられます

‥教会がこのまぎれもなく貴い「声の文化」を神に捧げてきたこと、そして今なおそれを守り、さらに未来に伝えようとしていることは、人類にとってかけがえのない精神文化の真髄を具現していることです。‥このことばが生きて働く礼拝を次の世代に伝えるには、子どもたちが歓びをもってことばを聴く力と、心をこめてことばを語る力とを、育ちのなかでどう養い身につけさせるかを、いかにわたしたち大人が支えるかが大きな課題です。」(『声の文化と子どもの本』)
          *
私たちの教会では、礼拝の最後の讃美歌(頌栄)に、「キリストのへいわ」(こどもさんびか34)を歌ってきましたが、これからは「いまでかけよう」(同36)を歌うようにしたいと思います。数年間歌い続けてきた34のことばにも充たされて、新たな歩みに進みましょう。

――自らの内から押し出され、各々が遣わされるところで、互いに「あなたの声」を聴き「わたしの声」を伝え合う世の中、命の繫がり・交わりを創りだしていくために。「今、出でかけよう、よろこびにあふれて、今、出かけよう、平和の主とともに。」(さんびか36)

被災の地を覚える       加藤久幸牧師

ファイル 311-1.jpg新しい2012年度の歩みは、4月1日(日)の棕櫚の主日(受難週の主日)から始まりました。教会の歩みと学園の始業が重なり慌ただしい日々でしたが、本誌にも紹介されているように7日(土)~8日(日)KKSのお泊り会が行われました。

同じく7日(土)、茨城YMCAでは、つくばクリスチャンセンター別館増築を受け、被災支援をしている盛岡YMCAを覚えバザーを開催しました。これらに参加した方々が感じたであろう思いに通底すると想われる文章に出会いました。本日配布する「『東日本大震災』被災支援NEWS」№34の中川葉子さん(鹿島教会)の「東北教区被災者支援センター エマオの活動に参加して」です。

「‥休憩させていただいたお宅の納屋の壁に『ここに母眠る。悔しい』とマジックで書かれていたのを見て、1人の女子高生が号泣していたのが印象的でした。『普段は友達と軽い話しかしないけど、ここでは真剣な話ができてよかった』と語る高校生もいました。夕食は東京から夕食作りボランティアで来て下さっていた教会の女性たちの手作りの温かい食事でした。みんなで囲む夕食は、とても楽しく、新しい友達の輪が広がる時間でした。エマオの活動が他の団体と異なる点は、①効率を求めず、被災者の方々のペースに合わせたスローワークをしている事、②被災者の方々の要望にどこまでも寄り添っていく活動をしていく事、③1日のワークの後に、ボランティア同士で気持ちを語り合い分かち合える時間があることです。仙台に滞在した6日間に、たくさんの牧師先生や教会の人達との懐かしい再会がありました。私自身が子どもの時から教会とつながり、多くの方々との交わり中で生かされてきたことを改めて感じました。東北の物を買うことで支援になればと思い、今回も牡蠣の佃煮や大豆を段ボール箱に詰めて送りました。教会でこれを販売することで、現地に行けない教会の方々にも被災地に想いを寄せていただくことができたと思います‥。」

3月下旬、私は被災3教区連絡会で仙台を訪問し、現地で中川さんとお会いしました。私たちが、教会が、大事にして行いたいことが上記の光景にあります。私たちの教会で、KKSやエマオの体験が広がっていくことを願って、歩みたいものです。

何事にも時がある           加藤 久幸

ファイル 305-1.jpg私の生まれと育ちは関西ですが、私がイエスと出会ったのは奥羽東北の地でした(肉眼で視たわけではありませんが…)。私は、奥羽東北の地で信仰を与えられ、同時に神さまの導きがあるならば地方の教会の牧者になりたいという願いも与えられました。

それから、かなり長い備えの時を経て、牧者としての歩みが始まりました。示された任地は東北教区新庄教会でした。私なりに思いを尽くし力を尽くして働きました。

ある時期から、私の学んだ農村伝道神学校から働きを担ってほしいという要請を受けるようになりました。私の中には「転任」という考えはありませんでしたし、また任地を離れるような状況にはありませんでした。何年間にわたり丁寧な要請を受けたこともありましたが、そのうちに奥羽東北に私が留まることの意味をも考えなければならない事態も生じました。「暫くの間でよければ‥」ということと、農村伝道神学校の働きを担うという招聘条件とともに、私は西東京教区三鷹教会に赴任することになりました。

その時の心境は「アブラハムは‥行く先も知らずに‥」(ヘブライ13・14)でした。自分としては10年くらい後には地方の教会に帰るのだろうと考えていました。
今も牧者養成の大切さを痛感しますが、自分には身に余る働きであったと思います。三鷹教会の7年間、そして水海道教会の6年間、兼務が招聘の約束であったとはいえ、神学校の働きに送り出してくださったことを、教会の方々に感謝申し上げます。他方、神学校に対しても十分な奉仕を成すことができなかったことを、反省しています。

昨年、東日本大震災が起こりました。もともと要領悪く、仕事がたまる働き方の私ではあるのですが、今年度は成すべきこともできない事態がいろんな場面で続きました。この数年来神学校には辞意を表明してきましたが、今春受理されることになりました。

「何事にも時がある」(コヘレトの言葉3・1)。深い関わりのある奥羽東北・関東が被災した時に、神学校の任が解かれることの意味を、想います。神の導きを尋ね求めつつ、牧者であること、自らの働きについても今一度深く顧み、教会と学園の新年度の任に応えていきたいと考えています。

大地の営み       加藤 久幸

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19日夜から、霙(みぞれ)まじりの冷たい雨が降っています。関東平野部では20日に初雪が降り、1か月以上にわたった乾燥注意報がようやくとまりました。
関東に移り住んできた者にとっては、冬の時期、上空に広がる青空、朝方足元に広がる霜柱(しもばしら)に、驚かされます。そして春が近づくと、大地に吹き荒れる土ぼこりにも、驚かされます。

私は、関西で19年、東北で16年、関東で21年、生活をしてきました。東北はいずれも日本海側の気候であったので、冬の間は、ここ数日の天気のように、空はどんより曇っていて、晴れ間がのぞくことはほとんどありません。足もと、生活空間はすっぽり雪に覆われているのが実情です。

関東での生活(横浜・町田・三鷹・常総)が長くなり、冬の空の青さには慣れましたが、大地に触れる機会の多い現在の水海道での生活では、霜柱(しもばしら)を踏む感覚は、何とも形容のしがたい体験です。関西では、気温が下がっても、霜柱(しもばしら)を見い出すことはまれです。

このことは、土の性質が関係しています。関東の土壌は、火山灰が風化してできた土壌です。微細な団粒(空間部分が多い土壌粒子の集合体)構造がよく発達していて、凝縮力(引きつけ合う力)が小さいという特徴をもっています。この特徴が、水はけも水持ちもともによく、耕しやすいという長所を生み、関東地方に畑作の広がった原因にもなっています。この特徴が冬の霜柱(しもばしら)や春先の土ぼこりの嵐の現象を生むのですが、それは畑作に適しているという証左でもあります。

今冬は、霜柱(しもばしら)ができないほどに土の中も渇ききっていたように想います。適当な水分を与えられて、霜柱は土を耕すかのような働きをし、土壌の表層をふかふかにしていきます。これから、一雨降るごとに、春が近づいてきます。

東京電力の原発事故による土壌汚染の影響はありますが、今年の大地の営みは始まっていきます。私自身は、今年、地に足が着いた、大地に触れる「歩み」をしたいものだと、願っています。

「地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に ヤコブの神の前に 岩を水のみなぎるところとし、硬い岩を溢れる泉とする方の御前に。」(詩編114・7-8)

見えないものに目を注ぐ    加藤久幸

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12月3日(土)夜、知り合いの牧師から電話が入りました。「水海道教会も東日本大震災で被害があり、大変だったのですね。知らなくて‥」と、丁寧なお見舞いをいただきました。私は、すぐさま、あの記事をご覧になったのだなと思って、恐縮しつつ応対をいたしました。

あの記事とは、『信徒の友』12月号の「東日本大震災、その後 被災教会の状況を追う」である。水海道教会については、こう記されています(44頁)。「稲田だったところを埋め立てた土地での会堂建築なので土地陥没、沈下がみられる。会堂車いす用スロープが壊れ、会堂玄関の床が落ち、金物が露出して危険。内壁の亀裂大、女子トイレのタイルが剥がれ、牧師館に亀裂多数。」

10月に教団出版局から「被害状況の深刻な教会のみ、‥直接ご報告いただくものが最善と思い、お手数ですがそのご報告(簡略に箇条書きで結構です)をいただきたくお願いする次第」と、依頼を受けました。応えないままであったので、我が教会は記事にならないと思っていたのだが‥。

恐らく、教区・教団の報告をもとにまとめてくださり、記事にしてくださったのだと拝察します。内容は、松下建築設計事務所の簡易診断報告に基づいており、事実とは異なるとは言わないまでも、ニュアンスは変わる、形が変容して伝わっていくなあというのが、正直な感想であります。

先日、ある方と話していて、「今年は、教会も、学園も、ぎりぎりで動いている」と私が話すと、その人は「マイナスの中でやっている」と応答した。大変な中でもやるっきゃない、何とかまわっている、やれることをやる、そのような応答として受けとめました。「明るい」と言っていいのかわからないが、応えた笑顔が非常に印象的でした。 

私たちの今年の主題聖句は、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」(Ⅱコリント4章18節)です。言葉にすること、形にすることを急ぐ風潮を感じます。目に見える形になる前、目に見えない段階の共なる歩みの大切さを思います。「現場百回」「事件は現場で起こっている」。クリスマスの物語を生み出した「現場」に足を運ぶこと、現代のクリスマスの物語が生まれる「現場」で生きることの大切さを想います。

主イエスを迎える喜び       加藤久幸

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クリスマスの4週前の日曜日から、教会暦のアドベント(待降節)が始まります。この時期、教会や家庭では、リースやクランツなどを飾ります。ろうそくに火を灯して、イエスの誕生にふさわしい聖書が読まれ、讃美歌が歌われます。お祝いのための菓子作りや食事の備えも始まります。家族や友人、祈りに覚えている方々へのカードやプレゼントも準備します。
 
昔ながらのクリスマスを迎える準備は、時間をかけ、手作りで、協力しながら、行われてきました。この備えの中で、人々は、良き知らせを聞き、伝え合うことを、知らず知らずのうちに行ってきたように思います。

クリスマスは子どもだけの楽しみではないと、私が知ったのは、ある婦人との出会いからでした。30数年前、私は洗礼を受けていませんでしたが、大学のサークルのクリスマス祝会の打合せのために、大学の先生宅をお訪ねした時の事です。先生は不在で、奥さまと先生の帰りを待つことになりました。温かい紅茶のもてなしを受け、たわいのないおしゃべりをしながら、奥さまのクリスマスの準備を手伝いました。

その時間は、何かが違うと感じつつも、穏やかで、ほっとする不思議な一時でした。やがて、不思議なという印象は、驚きに変わりました。彼女は、イエスを迎えることを喜び、本当に待ち望んでいたのです。その望みの上に、彼女の今年のアドベントがあり、彼女の生涯の今があることが、伝わってきました。身をもってクリスマスを楽しみにしている人が、私の目の前にいる。この事を知らされたことは、大きな驚きでした。

アドベントになると、私たちは各々に忘れられないクリスマスの出来事を思い出すことでしょう。懐かしさと共に、聞く耳、語る口、動かす手に、主イエスを迎える喜びがあふれるようにと願って、このアゾベントの時を歩みたいものです。一番最初のクリスマスを待ち望んでいた人々が、恐れと驚きをもちつつ、互いに喜びを確かめたように、私たちも主の降誕を迎えたいと思います。

お一人おひとりの歩みの上に、私たちが生きるこの世界に、主の御心に適ったクリスマスの物語が、新たに知らされ起こりますように、祈ります。


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