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洗礼                   K.W

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今年のクリスマス礼拝で私は洗礼を志願いたしました。私がなぜ水海道教会で洗礼を志願したのかについてはキリスト教(水海道教会)との出会いから現在(洗礼決意)までについて簡単にですが述べさせていただき、その中で洗礼への思いを伝えられればと思います。

今回なぜ洗礼を受けるのか?について考えた時に出てきたものは『出会い~支えられ~与えられた』ということでした。

キリスト教との出会いは15年前になります。当時はYMCA専門学校学生の時に、YMCAのキャンプにボランティアリーダーとして参加し、キャンプの中で食前感謝や朝の集いなど、お祈りや聖書に触れる機会がありました。その頃はただあったという感じで深くは考えてはいなかったと思います。

その後卒業し東京YMCAの職員となり、縁あって職員1年目から水海道教会学園二葉幼稚園への体育講師として水海道に来るようになりました。それが水海道教会との出会いでした。

それまで教会に行ったこともなく、また、大人向けの体育は専門で勉強をしてきましたが幼児体育という分野の勉強はしていないため全く分からず、当時は「若いお兄さん先生が来た」とか「わだちゃん」などと言われ右も左も分からずスタートをしたことを今でも覚えています。

それから約9年間二葉幼稚園で仕事をしました。子ども達に関わっていく中で特に感じたのは、一人ひとりに寄り添うことで、子ども達が日々のびのびと生活をし、日々豊かな成長をしていく姿でした。

それは直にキリスト教の考えに触れる時間(賜物)であったと思います。また、CS野尻キャンプでも11年間関わり、やはり強く感じるのは子ども達一人ひとりに寄り添いあるがままを受け入れ、その環境で子ども達はのびのびと成長していく姿でした。

私はその期間に東京YMCAで4年間働き、その後5年目からは茨城YMCAへの移籍もありました。この移籍も水海道教会教会員である宮田さん(茨城YMCA総主事)との出会いによるものでした。今現在は茨城YMCAで多くの子ども達そして地域の方々と日々関わっています。

YMCAの使命の一つに『イエス・キリストにおいて示された愛と奉仕の生き方に学び、YMCAの使命であるすべての人びとが生涯を通して全人的に成長することを願い、すべてのいのちをかけがえのないものとして守り育てます。』ということがあります。

もちろんYMCAでも多くの学びが日々ありますが、今の私の仕事の土台となったのは、水海道教会や二葉幼稚園で関わってきた賜物であると言えます。牧師先生をはじめ多くの教会員の方々や園の先生方に『出会い』『お支え』があったからだと感謝しています。

YMCAでも多くの方と『出会い』そして『支えられ』『与えられて』今存在しています。今後も私自身がYMCAで人と関わる働きを続けていく中で、さらに多くの方と『出会い』『支え・支える』機会を『与えられたら』より多くの方と繋がり共に歩んで行ければと思います。そのためにはよりイエス・キリストを近くに感じ、お支えお導き頂き歩んで行けたらと考え洗礼を志望いたしました。

青年会リレーエッセイ 「廻る命」   H.O

今から約4カ月前、猛暑日が続く夏の候、私の祖母がこの世を旅立ちました。(没年76才)長寿大国である日本ではけして長生きをしたとは言えませんが、人生が長ければ良いと言うことでもありません。その人がどのような道を歩んできたか、どれだけ悔いの残らない人生を過ごしたのかということに生きる本質があると思います。

私も成人するとめっきり祖母の家に行くことが少なくなりましたが、幼い頃はよく遊びに行っていました。広い畑で野菜を摘み、採れたてのトマトをほおばりお昼は美味しい手料理を作ってくれ、日差しが傾きかける頃、台所からとうもろこしの甘い匂いが漂い、昼寝から覚めたりと、なんだか祖母との思い出は〝食べてばかり″ですが、数多くの思い出が振り返ってきます。

私が祖母の病気を聞かされたのは亡くなる8か月前のことでした。親族から知らされたので本当のことだとは分かっていましたが自分の中ではあまり実感が湧きませんでした。「今まであれほど元気だったのに…」という思いがあり、実際に元気に動く祖母の姿しか想像できませんでした。

1年以上に渡り辛い治療や入退院を繰り返しましたが、夏が近づくにつれ容体が悪化し、最期は病室のベッドで多くの親族に見とられながら息を引取りました。私も虫の知らせを感じたのか、やっとのことで病院に駆けつけ最期を見とることが出来ました。

しかし、唯一悔いが残るのは、去年の暮れに「一緒にうどんを食べに行こう」という約束の電話を祖母からしてくれましたが、その約束を最後まで果たせなかったことです。

それでも何度か見舞いに行き、一緒の時間を過ごしました。二人きりで病室にいた時間は少なく会話もあまりしませんでしたが、祖母も私も互いに目を閉じ、心の中でたくさん会話をした、そのような感覚を覚えています。〝自分のことよりも他人のことを思う人″である祖母からは、生きることの楽しさ、命の尊さを学びました。

最後にこの出来事を経て、感銘を受けたある方の言葉を贈ります。「よく生きられた生涯は、たとえ短いものであっても、人々の追憶の中に再びその生涯を生きるだろう。」(福永武彦 別れの歌より)

特別寄稿   娘と共に歩んだ道    加藤久幸

編集委員から、娘が結婚したことについて、父親としての心境を一筆書くようにと、依頼をいただきました。二度はないかもしれないので、ありがたく期待に応えることにしました。

で教会員の方々からは、「寂しくなりますね」と励ましやら慰めの言葉をかけていただきました。「もう自立して、家庭を巣立っていますので、そんなに寂しさは感じませんよ」と応じたものでした。

もう一つの、「お嬢さんと結婚式で一緒に歩くのは緊張するでしょうね?」とのひやかしの言葉には、「牧師として結婚する方々と何度も練習した経験がありますから‥」と応えてはいたのですが、実際は? 今回はその体験記です。

実際、自分が歩くというのは緊張しましたね。しかも、大きくなった娘に手を差しだしてエスコートをするということは、日常の場面ではありえないことですから…。娘と共に歩きながら、幼い頃に手をつないで歩いたことや、誕生から今までのことが、走馬灯のようによみがえってきました。

我が家庭では、「高校卒業までは、親は養育の責任を果たすが、後は自分で生きていくように」というのが、“共育”の基本であったように思います。

披露宴で父親への謝辞に、こうありました。「お父さん、私は昔から悩むことがあると、いつもお父さんに相談してきました。お父さんと相談していると、自然と気持ちの整理がつきました。高校生のとき進路に悩んでいた私に、『美土里が決めたことなら応援する』と言ってくれたこと覚えていますか? 今でも悩むことがあると、この言葉を思い出します。お父さんにちゃんと報告できる?と、自分に問いかけます。仕事が大変でも、私が帰るといつも話を聞いてくれてありがとう。」親が何かをしたというより、娘は自ら生きる力を身につけ、家族も含め他の人々を支えるような歩みをするようになりました。

会堂での10m程の道は、私にとっては27年間の親子の歩みを思い起こす大切な時でした。長いようで、一瞬のようでありました。親子として共に歩む時は終わったのだ、寂しさと成就感が身を包みました。「風は思いのままに吹く」(ヨハネ3・8)。新たな歩みをする娘に幸あれと祈ります。

この想起の機会をくださった教会に、感謝いたします。ありがとうございました。

青年会リレーエッセイ 第6回

僕はこんな小説が好き!      K.D

特にお題がなかったので、最近自分がハマってる小説の紹介でも書こうと思います。
タイトルは電撃文庫の『境界線上のホライゾン』という小説です。いわゆるライトノベルというジャンルの小説になります。
 
簡単に内容をまとめると、未来の地球で、人類は宇宙へと進出しますが、宇宙で争いを繰り返す内に、人口は激減し、技術を失い、地球へと戻ってきます。そこで人々は、人類を絶滅させない為に、話し合い、考えました。その結論は「前時代の歴史を繰り返す事で、人類は滅びを得ることなく、また宇宙に上がる事ができるのではないか?」というものでした。 

人々はそれに賛同し、前時代の歴史をまとめた「聖譜」を作り、人々はその歴史を繰り返す『歴史再現』を行う事で、再び宇宙を目指す、というものです。
 
この話の見所は、一人の主人公にスポットがあてられた物語ではなく、登場人物それぞれが歴史を持ち、それを見せていく群像劇であることです。

たとえば、作中には主人公達とは別に、現代のスペインに相当する「三征西班牙(トレスエスパニア)」という国があります。スペインには「アルマダ海戦」という戦争で敗北し、その後の衰退が歴史として残っていますが、「三征西班牙」の人々はこの歴史再現を行わなければならず、しかもその後に衰退まで行わなければならないのです。

しかし、記された歴史と全く同じように行う事は不可能だとわかっているので、作中では『解釈』という考えがあります。これは規模に違いはあるが、似たような事をしてそれにその歴史再現を当てはめる事で、「三征西班牙」の人々はこれを用いて、過度の衰退を得ずに生き抜こうとします。 

それぞれが己の「正義」を持ち、それを曲げられず、ゆえにぶつかり合う。決められた運命を辿るしかなく、しかし、それでもその中で最大限の救いを得ようとする人々の群像劇です。

若者向けなので、かなり理解しがたい設定も含まれていますが、書いたら文字数制限足りないので割愛します。

なにが言いたいのかと言えば、自分がこういう本が好きな人間であるということです。

青年会リレーエッセイ

「つながり」      M.O

「つながろう日本」震災以降色々な場所で「つながる」、「つながろう」といった言葉を耳にするようになりました。人と人のつながりを含めて、つながりを注目されるようになっています。さて今回の青年会のリレーエッセイはつながりについてのお話です。

小さなころから教会で生活してきた僕にはとても多くの人とのつながりがあったようでした。そのころには全く気が付きもしなかったのですが、最近恐ろしいほど色々なところで小さなころからのつながりが見つかり始めています。あまりいい意味でとらえているような書き方はしてないですが、いいことが多くあるのです。

群馬県にある鍼灸院にたまに僕は通っています。(ちなみにここも知り合いです)とてもよくしていただいている場所の一つです。マッサージを受けながらいつも色々なお話をさせてもらっています。

ひょんなことからかギターの話になり、ギターを買わないかという話にまで進みました。そのギターは被災したギターだったそうです。震災の日お店に飾ってあったものが壁ごと崩れてしまい、傷が付いてしまったとのことでした。実際にはまだまだふつうに弾けるものですが、商品としてはもう売れないとお店の方は言っていたそうです。

こういったギターが多くあり、被災地支援の1つとして鍼灸院の院長先生はそういったものを少し安く買い取り、ほしい方に渡しているそうです。その中の1本が自分のところに回ってきたそうです。ちょうどギターがほしいなと考えていたころだったので、そのギターを購入させていただきました。そして最近YMCAのキャンプでも活躍することができました。

改めて振り返ると本当に運が良かった。あの人とつながりがあってよかったと感じます。ほかにもよかったと感じる「つながり」が色々なところで感じ、今まで生きてきた中でよいつながりが与えられてきたのだなとしみじみ感じます。今も大人や子どもも含めて、新しい出会い「つながり」ができています。これからこのつながりが自分にどういったよいことをもたらしてくれるのか、楽しみにしたいなと思います。

青年会リレーエッセイ 第4回    K.K

ヴァイオリン

私がヴァイオリンを始めたのは、小学生1年生になりたての頃でした。あまり覚えてはいないのですが、自分から「ヴァイオリンをやりたい」と言ったらしいのです。それで、当時住んでいた家の近くにあったヴァイオリン教室に習いに行くようになり、中学までその教室に通いました。

高校時代は諸事情できませんでしたが、大学生になった今は、サークル活動としてヴァイオリンを弾いています。写真は私のマイヴァイオリンです。

私は、ヴァイオリンというものは弾いている人の心が音に出やすい楽器だと思います。弦を押さえて音を作ることや、弓を動かして音を出すことを繰り返して、ヴァイオリンは曲を奏でることができます。そのため、押さえている指の位置や力、弓の動かし方によってヴァイオリンは色んな音色を出すことができます。

そして、それらの事を全てするのが、ヴァイオリンを弾いている人自身です。出したい音を自分でつくり出し、弾きたいペースに自分で弓を動かす。これらのことは、弾いているときの心によって大きく左右されたりします。

具体的に言うなら、自信があるときなんかは、弓の動きも広くなり、大きな音が出て、「もっと聴いてください」といっているような演奏になります。しかし反対に、不安なときとかは、弓の動きも短くなって、音も小さくなり、「これで大丈夫かな?」みたいなビクビクした演奏になってしまいます。

多少大げさに書きましたが、それだけ自分の心が出やすい楽器だと思っています。そして、このこともヴァイオリンの魅力の一部だと、私は感じています。

長々と書きましたが、皆さんにヴァイオリンのことが少しでもわかってもらえたなら幸いです。もしかしたら、教会でヴァイオリンを弾くこともあるかもしれません。そういう時は、大抵緊張しているので温かい目と耳で演奏を聴いてもらえると非常に助かります。次号はOさんが担当です。よろしくお願いします。

青年会リレーエッセイ 第3回      Y.O

日帰りブラジル旅行に行ってきました!

とは言っても、私が行ってきたのは、水海道駅前のブラジルスーパーマーケット『TAKARA』さん。2階にある居酒屋さんには、足繁く通っていたことがありますが、なかなか買物をする機会がなかったお店。今回はあるものが目当てで行ってまいりました。

知る人ぞ知るTAKARAのハンバーガーです!お店のドアをくぐって、すぐ右手にハンバーガー売り場があるので、さっそく注文。メニュー表はブラジルの公用語のポルトガル語だけでなく、日本語版も用意されているので、バイリンガルでない私でも簡単に注文できました。

ハンバーガーの種類の多さに戸惑いましたが、豚肉・レタス・チーズ・玉子・ハム…色々と贅沢に挟まっている、『オールサンド』(¥600)なるものを注文。お会計を済ませると、ジューシーな匂いと音をたてながら店員さんが目の前でお肉を焼いてくれました。

ここでちょっと調理時間がかかりそうだったので,店内を散策。日本のスーパーマーケットに置いてあるようなものに加え、普段見ることのできない、おもしろそうな商品もたくさんありました。
 
左の写真はブラジルのカクテル『カイピリーニャ』。ブラジルでは各家庭でこのお酒を造り、ホームパーティーの際に家々ごとの味を振舞うそうです。(“お袋の味”的なもの?でも未成年はダメですよ!)一説によると、「カイピリーニャ」⇒「カンパーニャ」⇒「カンパーイ」⇒「乾杯」と、その語源になったとか、なっていないとか...

奥に行くと精肉売り場があり、日本のスーパーではなかなか見られないスケールで、新鮮なお肉が売られていました。

そうこうしているうちに、ハンバーガーの出来上がり。私の顔と同じくらいはあるであろう巨大なハンバーガー。味・ボリュームともに、アメリカ大陸級の絶品でした!!

皆さんも時間があれば、ぶらりと駅前留学してみてはいかがでしょうか?

新企画 青年会リレーエッセイ 第2回      M.O

星見のすすめ

5月の金環食はごらんになりましたか? 私は「晴れたら午前中は有給休暇だからね。」と同僚に告げ、朝5時から近くの公園に三脚とカメラと双眼鏡等、一式を広げ、欠け始めから欠け終り途中の8時半までずっと見ていました。ファイル 334-1.jpg

というわけで今回のリレーエッセイは私の趣味の紹介です。それは「星見(ほしみ)」。天体観測というほど学術的なものではなくて、ただのんびりと星を見ているのが好きといったレベルを星見といいます。

元々小学生のとき「宇宙のふしぎ」という本をもらい、大好きで何十回と読み返していました。1972年、中1のときジャコビニ流星群が来て雨のように流星が降るだろうと予測されたので父親の車で海まで行き一晩中、空を見ていました。予想は大外れでほとんど流星は見られませんでしたけど。

大人になるにつれ、空を見上げることも少なくなりましたが、札幌から茨城に来たとき南下したぶんだけ北極星の高さが低いなとは感じていました。

87年頃たまたま本屋で天文雑誌を見つけて購入。それからの天文ファンです。今まで経験した中で印象的なのは2001年のしし座流星群ですね。筑波山で見ていましたが、一晩で1565個の流れ星が見られました。(1個1個数えてた。) あとはやはり金環食です。となると今度は皆既日食が見たいです。

それでは皆さんへの星見のすすめということで星見の良い点をいくつか上げてみましょう。
 
 ○簡単である。夜、家の外で上を見上げるだけ。お金も道具も要りません。
 ○特異現象(日食・月食・星食など)がいつ起こるか事前にわかっている。情報を知っていると楽しめます。 
 ○最近のデジタル機器は進歩しているのでけっこう簡単に写真が撮れる。などなど。 

悪い点は 
 ●凝りだすと際限なくお金がかかる。望遠鏡に数百万円とか 
 ●100年に一度の特異現象でも曇ったら見られない。まあ、ほどほどに楽しむのが良いでしょう。

昼間でも星が見えるんですよ。今日7月15日に木星が月に隠されます。(潜入13時5分 出現14時4分) この時間の前後に双眼鏡で月を見てください。傍らに木星が見えるはずです。晴れていればですが。 

新企画 青年会リレーエッセイ 第1回       K.W

青年会メンバーでリレーエッセイをというお話をいただき、日頃教会に来られないメンバーも多くいる中、それぞれの自己紹介を兼ねて教会の会員の方に知っていただく良い機会と感じました。まずは第一弾として書かせていただきました。
 
現在茨城YMCAでは、新たに東日本大震災復興支援として、8月1日~3日に福島県郡山市を中心とした子どもたちを、常総市あすなろの里で開催するキャンプに無料で招待する計画を練っています。

原発事故の影響でいまだに外に出て思いきり遊べない子どもたちが多くいます。そうした子どもたちがキャンプを通して体を思いきり動かし、元気に地元に帰り今後もたくましく成長していって欲しいと願い実施の準備をしています。

資金面ではすでに三菱商事から全額支援していただくことが決まりました。募集には筑波学園教会の福島牧師の力をお借りして、師の前任地の郡山教会を中心に郡山キリスト福音教会(その他近隣教会や教会付属幼稚園)、郡山市教育委員会・社会福祉協議会などの協力をいただきチラシを配布することも決まり、6月17日~18日に郡山市内をまわる予定です。
 
準備をする中で感じることは、被災地の方たちがとても協力的であること。すべて教会関係者ということもあると思いますが、YMCAのない地にも関わらずYMCA運動を理解していただき「地域の子どもたちのためであれば・・」と力になっていただける教会の存在はとても心強く、そして深愛を感じています。

私は昨年度から青年会会長となり、まずやりたいことはボーリング大会的なイベントです。青年会メンバーで交わることも大切ですが、教会または地域の人を巻き込んで交わりを持てる機会を作りたいと願っています。

日頃の仕事に追われ実現にはまだ至りませんが、地域と教会を結ぶことを何か1つでも青年会から発信できればと考えています。今後もお力添えいただければと思います。リレーエッセイの機会を与えていただいたことに感謝いたします。

アメリカ ドルー大学訪問記    S.Y

社会史史料としての宣教師文書を求めて

現在水海道教会は日本基督教団に属しているが、太平洋戦争時の教会合同以前は日本メソヂスト教会の一教会であったと聞く。日本メソヂスト教会(美以教会)の設立はアメリカのメソジスト監督教会からの宣教師の働きに負うところが大きい。メソジスト派は元来、18世紀にイギリスのジョン・ウエスレーによって興された教派である。人間の自由意志を比較的尊重する教理(ウェスレー・アルミニウス主義)をもち、さらにメソジスト(Methodist)との名称が示すとおりの日課を区切った規則正しい生活方法や教育・医療・貧民の救済などの社会的実践を重視した歴史をもつ。その日本での教育・文化事業は青山学院、関西学院、鎮西学院、そして教文館などに代表されよう。ファイル 317-1.jpg

メソジスト監督教会は日本だけでなく中国や朝鮮、マレーシアなどのアジア諸国においても熱心に布教を行った。中国ではアヘン戦争後の1847年から、シンガポール・英領マラヤでは1885年以降布教を開始している。中国においては農村部にも深く分け入って布教を展開し、教会に加え学校や病院を多数設立した。さらに華南の福建省では、中国人信徒からなる開拓移民を英領マラヤや北ボルネオのサラワクに送り込むなど、積極的に社会事業を推進した歴史をもつ。なお、このような姿勢は19世紀後半から20世紀前半に提唱された社会的福音(Social Gospel)の思想とも深く関係しているように思われる。

さて、長期間に亘り地域社会に密着した宣教師は現地社会に対する洞察に富んだ報告書や書簡を著しており一級の歴史資料となっている。日本・中国・朝鮮そして東南アジアにおけるメソジスト派の宣教師が送付した文書はニューヨークの本部に送られ、保存されてきた。現在はニュージャージー州のドルー大学内 The United Methodist Archives Centre(メソジスト資料館/ニューヨークのマンハッタンから電車で約1時間の郊外に位置している)で公開されている。ドルー大学は1867年に創立されたDrew Theological Seminary(ドルー神学校)を起源とするメソジスト派の大学である。社会史研究を専門とする筆者は、その原本を閲覧し、同派のアジア宣教に関わる資料の所蔵状況を把握するために、2012年3月にドルー大学を訪問した。ドルー大学に限らずアメリカの図書館や公文書館は、予め電子メールで申し込んでおけば必要な文書を準備しておいてくれる。さらにデジタルカメラでの撮影が比較的自由であるため、その利用は大変便利である。筆者も効率よく仕事をすることができた。ファイル 317-2.jpg

ところで、筆者がドルー大学へ訪問するに際しては、同大学神学院院長のJeffrey Kuan教授のお世話になった。氏は旧約聖書学の専門家であるが、マレーシア出身の華人であり、その祖先は中国福建省よりの移民であるという。氏の出身背景は筆者にとってはとても興味深いものであった。また現在のアメリカではメソジスト派のような既存の伝統的教派は不振であるという残念なお話も伺うことができた。なお筆者をKuan教授に紹介くださったのは台湾のメソジスト教会に属する東呉大学のチャプレン陳啓峰牧師である。中国革命後、朝鮮戦争での反米運動を経て、中国本土の教会は外国との関係を絶った。これにより中国のメソジスト監督教会(衛理公会)は台湾や香港に拠点を移すことを余儀なくされた。その一方台湾、香港、シンガポール、マレーシアの華人メソジスト教会は相互に密接な連絡を維持しており、その先にアメリカのメソジスト教会とも繋がっている。華人ネットワークと教会ネットワークとの融合、その広がりの範囲には刮目に値するものがあろう。そうした繋がりを通じ筆者に助力くださった華人教会の関係各位に感謝したい。

(写真:上 ドルー大学メソジスト教会   下 ドルー大学メソジスト資料館)


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