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かけがえのない生命       加藤輝勢子

ファイル 374-1.jpg2012年も残すところ半月となりました。皆さんにとってどんな年だったでしょうか。

私は年が明けてまもなく、父を天に送りました。もうすぐ一年になります。大学を卒業して家を離れていたので、傍にいないことは日常的には変わりません。でも、今までは声が聞きたくなったら、電話をしたり、会いに行くことが出来ました。

今はそれがかなわず、寂しく感じます。それと、残された母の存在です。「父さんは一人でいってしまうのだから」「早く迎えに来てくれないかな」と、寂しさのあまり、言葉を口にする時があります。

「お父さん、せっかく天国で静かに好きな勉強が出来るんだから、おばあちゃんはまだ呼びにきてくれないんじゃないの」などと声かけられながら、母は日常を過ごしています。残された者にとって、もう会えないという寂しさは大きいものです。

12月25日はクリスマス、主イエス・キリストの誕生日です。救い主が生まれることを知り、東方の博士たちが星に導かれてお祝いに来ました。時の権力者であるヘロデ王は、そのことに大変不安を抱きました。不安を抱いたのは権力者のヘロデ王だけではありませんでした。エルサレムに住む人々も同様であったと、マタイは伝えています。

そして、その不安は、ついには、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子を一人残らず殺すという行為になりました。これは、聖書が伝えるイエス・キリストが生まれた当時の様子です。

さて、現在の私たちはどうでしょうか。赤ちゃんが生まれるということでは、医学が発達し昔は諦めなければいけなかった生命も今は助かることがあります。病院(安全が確保されるところ)で生まれる子どもたちも多くなりました。本当にうれしいことです。

しかし、喜びである生命の誕生が権力や経済より優先されているでしょうか。形は違えど、時の権力や経済が優先になると、幼子をめぐる状況は、今から2000年前と大きくは違っていないのかもしれません。
 
小さい(小さくされた)者が安心して過ごせない世の中は、結局大人も安心して過ごせない世の中です。クリスマスを覚え、生と死の間で、かけがえのない生命について思い巡らしています。

被災地ボランティア研修    加藤輝勢子牧師

10月12日‐14日(金-日):
本所賀川記念館として祈って、願っていた被災地ボランティア研修に7名で参加しました。仙台、エマオの受け入れで七郷地区のボランティア活動をさせていただきました。夜行バスは思っていた以上に快適でした。

エマオで「こちらから根掘り葉掘り被災のことを聞かないように、バチバチ写真を撮らないように。受け入れ先の方のペースで、スローペースで作業をしてください。」等の丁寧な説明を受けて、午前、午後2時間ずつの軽作業をしました。

一緒に働いていると「あの時はこうだったとか、ここまで津波が来た。」等とボソッと話される会話の中で、本当に今なお被災のただ中にいることを感じました。

松林で防風林になっていた浜辺の木が倒れてむき出しになったままでした。波でえぐられた砂地、住居禁止区域に数か所、黄色いハンカチが連なって飾られていました。もう一度この場所に住みたいという願いのしるしだそうです。その日も何もなかったかのように穏やかな波が砂浜に押し寄せていました。

10月25日(木):賀川豊彦研究会に参加。『日本キリスト教史における賀川豊彦 その思想と実践』の中の古屋安雄氏が書いた「賀川豊彦の日本伝道論」の読書会の発題を担当。

古屋氏は、今こそ伝道が大切で、その意味で賀川の伝道理解に学ぶこと、国際人としての賀川のたどった足跡を振り返りながら、論を展開している。そこで「我が国のキリスト者人口が10%になれば、一つの社会勢力になるだろう」と主張されていました。

1%以下では伝道も、社会活動も数が足りなくてできないと言われます。当時賀川は「最も小さくされた人々(労働者や女、子ども)」に常に目を向けていたと思います。賀川はキリスト者社会運動家である前に、伝道師であり、心と体を元気になる働きを共にされたと思います。その志しを受け継いで今も展開されている事業があります。

11月3日(土):恒例の記念館大バザーを開催。開始前に120名ほど並ぶ。年々献品の数も減り、各売り場が工夫をする。益金も昨年度よりは下回ったけれど、東日本大震災の被災者支援のために10万円を献げることができました。この日、5階までの階段を何度往復したことであろうか。

礼拝と交わり          加藤輝勢子牧師

私事ですが、毎月、定期的に書く原稿があります。月初めの児童館の学童通信、乳幼児だよりの原稿記念館の館だよりです。そしてこの交わりの原稿です。この原稿ですが、すぐ書ける時と、なかなか書けない時があります。

児童館関係の原稿がなかなか書けない時は、どういう時かというと、あまり子どもに関われなかった時です。そういう時はすぐ子どものところへ飛んで行って子どもたちと話したり、遊んだり、表情を見ていると、何となく書きたいことが浮かんできます。

そして、今回の交わりの原稿もなかなか書くことが浮かびません。そうです。それは9月もそうでしたが、あまり教会に行けていないことに気がつきました。本所賀川記念館の仕事とはいえ、日曜日に研修が入ることが多くあります。関係施設の東駒形教会の礼拝を守ってはいるのですが…。
 
二足のわらじをはいているので、覚悟はしているのですが、水海道教会で礼拝が守れない週が続くと落ち着かない気持ちです。そして残念ながら、10月も半分は共に礼拝を守れないのです。

一つは本所賀川記念館の職員のボランティア研修で11日の夜行バスで仙台のエマオに行き、ボランティア活動をする為です。14日の日曜日には仙台の教会で礼拝を守ります。そして28日は記念館職員新人研修で東駒形教会で礼拝を守り、その後、研修をします。考え方によっては主日礼拝から週の始めの勤務ができる職場であることは感謝であります。

日曜日に共にいることができませんが、10月20日は水海道教会のミニバザーを一緒にすることができるので、今からとても楽しみにしています。イエス様を賛美する礼拝は、ただ単にみ言葉を聞くだけでなく、愛する兄弟・姉妹との交わりが大切なことを気がつかされる時でした。

「ことばに生きた人」 加藤輝勢子

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『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(徳善義和著、2012年 岩波新書)という本に出会いました。

 ルターは「ことばに生きた人」であった。修道士となって以来、聖書のことばと深く取り組み、その教えの中心を捉えようと、生涯かけて格闘しつづけた。そして、そのことばを、民衆のために、民衆のわかる言葉で説きつづけた。宗教改革とは、そのルターが聖書のことばによってキリスト教を再形成した出来事であった。――徳善氏は冒頭で紹介しています。

ルターは修道院で聖書を一心に読み、内面の葛藤と戦いながら、やがて、それは神学的な問いになっていった。そして詩編31編2節「あなたの義によって私を解放してください」ということばに出会い、神の「義」が、われわれ人間に解放、すなわち「救い」をもたらすものとして期待されていることを読み取り、神の「義」と人間の「救い」とが、なぜ一つに結び付くのか。神の「義」を「怒り」「裁き」「罰」との脈絡で捕えてきたルターには、理解できなかったし、矛盾にしていると思えた。

しかし、神の「義」をそれまで考えてきたように、人間の行いや努力が神に受け入れられるか否かで明らかになるのではないと、示された。神の「義」とは神からの「恵み」であって、それはイエス・キリストという「贈り物」として人間に与えられるものである。神の「義」はイエス・キリストの福音として示される。神の「義」と「救い」という、互いに矛盾するように見えたものが、実は「キリスト」を介して一つに結び付いていると気づいた。

ルターは人間の救いは、イエス・キリストの教えと働き、とりわけその十字架に具現されているということを発見した。その中で「九五箇条の提題」に始まる贖宥状(免罪符)等の問題を投げかけている。

当時のローマ・カトリック教会の伝統的な聖書理解に対して、ルターは、聖書のことばを読み、聴き、民衆にわかる言葉で語り、そして神に従う生活をした。このことが時代の結び付き、宗教改革ということになったのだと言っている。

私は徳善氏のわかりやすい言葉で書かれたルターの生涯を読み、大いに励まされました。

和菓子作りの体験            加藤輝勢子

先日、貴重な体験をさせていただきました。児童館の近所の和菓子屋さんのご好意により、和菓子作りの体験をさせていただきました。興味のある子どもたち1年生から3年生までの10名を連れて会場に行きました。

最初に和菓子屋のご主人からの「団子は和菓子?ケーキは洋菓子?」などの質問に応えながら、和菓子と洋菓子の違いを聞きました。上生菓子の「朝顔」「トンボ」を作りました。

会場には当日使う物がすでにセットされていました。まずご主人が作り方を見せてくれます。「朝顔」は白い餡子を手で丸めて、そのあと手のひらでおさえて丸く平たくします。次に黒い餡子を丸く平たい餡の中央に乗せて、白い餡で覆いこんでいきます。そして、円柱のようにします。その円柱に熱い練羹をつけます。固まったところでビニールをかぶせて中央を竹串の平たい方で少し押すと花弁の感じが出ます。最後にしずくのようなゼリーと葉っぱをつけると「朝顔」になりました。

「トンボ」は朱色の餡と紫の餡でつくります。二つを合わせて紫の餡の方から指で合わせるようにし、手の上で丸くします。トンボの焼印を押すと、見事な和菓子の出来上がりです。

見ていると簡単そうですが、いざ子どもたちと一緒に作ってみるとなかなか簡単ではありません。何とか形になった上生菓子をお土産に子どもたちはとても満足そうでした。

江戸職人物語『あんどーなっつ』西ゆうじ作という和菓子つくりの漫画があります。職人さんの世界の大変さを書いていますが、子どもの時代に和菓子つくりの体験ができるなんて夢のようです。
 
ご主人が言うには、作り立てが一番おいしいそうです。冷蔵庫などに入れても次の日までには食べてくださいとのことでした。昼食を食べた後に作ったので、子どもたちは家に持ち帰ることにしました。家族にも喜ばれたそうです。

私も味見をしたかったのですが、今回は大人の分はありませんでした。残念。

帰省                    加藤輝勢子

ファイル 333-1.jpg6月末に急きょ実家へ帰ってきました。冬の間、父母が東京(町田)の姉の所へ来るために昨年10月から留守状態になっていたのですが、今年1月に父が亡くなり、それ以来の帰省となりました。

姉と母が数日前より実家に帰っており、私は仕事のやり繰りを何とかして3泊4日だけでしたが行ってきました。お天気が良く、北海道にしては暑いくらいの気候でした。片付けの合間に母と近所を散歩したりすると、さわやかな風に吹かれて、とても気持ち良かったです。
 
父母は子どもたちが巣立ってからの老夫婦になっても、昔の習慣からか、北海道という土地柄か、冬を越すためにお漬物をつけたり、越冬のための暖房(薪)の確保をしていたようです。食べられなくなった漬物を穴を掘って埋めたり、家の周りの草を切ったり、取ったりしました。

すると母が帰省していることを知り、父の弔問を兼ねて、ご近所の方が訪ねてきました。そして、冬を越すために薪もご近所の方が使ってくださるとか、庭になっている大きな栗の実がなったら、皆さんで頂くとか、家にいない時のことを相談していたようです。

今、母は町田の姉の所にいて、週に3回ほどデイサービス等に通って日常を過ごしています。少し認知症が入ってきています。それでも北海道では長年住んでいた家の中では何かを引き出しては読み、自分なりにできることを整理しているようです。しかし、片付けをしていて、急に何かわからなくなってしまうこともあり、こちらも戸惑うこともしばしばです。

私が片づけをしていて、分からないことを聞くと、母も忘れたのか、分からなくなったのか、にっちもさっちもいきません。そんな時、父に聞くと分かったことが、今はどうしようもなくなります。

少し時を置いて考えたり、時間をかけて探したり、解決することもあれば、解決しないこともあります。父母が元気な時に少しずつ、やっておけば良かったと思いながらも後の祭りです。

私は日頃より身辺をきれいにすることの大切さを今回のことで学びました。
しかし、帰ってきて身辺整理もできずに日常生活に流されている感じです。

神様の風            加藤輝勢子

ファイル 316-1.jpgどんな時でも、どんな時でも 苦しみに負けず、くじけてはならない。イエスさまの、イエスさまの 愛を信じて。
 
どんな時でも どんな時でも 幸せをのぞみ
 くじけてはならない。 イエスさまの イエスさまの 愛があるから。

上の讃美歌は『こどもさんびか2』の応募作品として採用された歌だそうです。教会学校でもよく歌われます。作詞の高橋順子(1959-67)さんは当時、重い病気で病床にありました。苦しい闘病生活の中で、この詩を作り、7歳という短い生涯を終えて、天に召されたそうです。きっと病院にいて、つらい時や苦しい時にこの詩を口ずさんで、自分を励ましていたのでしょう。そしてイエスさまがいつもそばにいることを感じていたのでしょう。この歌は幼かった彼女だけではなく、現代の私たちの信仰を支え励ましの讃美歌です。

ふしぎな風が びゅっとふけば なんだか勇気がわいてくる。 イエスさまの おまもりが きっとあるよ。 それが聖霊の働きです。 主イエスの恵みは あの風とともに。

ふしぎな風が びゅっとふけば いろんなことばの人たちも その日から 友だちに きっとなれる。それが教会のはじまりです。世界の平和も あの風とともに。

ふしぎな風が びゅっとふいて 心の中までつよめられかみさまのこどもに きっとなれる。それが新しい毎日です。私の命も あの風とともに。        
作詞・作曲 川上 盾

来週はペンテコステです。子どもさんびか改訂版に載っている讃美歌です。音楽が大好きな牧師先生が作った讃美歌です。弟子たちに吹いた風が、今、わたしたちにも吹いています。
 
5月、子どもの日、ペンテコステを思って、讃美歌の紹介をしました。竜巻や雷で天候不順な時もありますが、天気のいい日はさわやかな風が吹き、自然と讃美歌を口ずさんでいることがあります。歌を通してイエスさまを感じましょう。

東京スカイツリー            加藤輝勢子

ファイル 324-1.jpg晴天の5月28日(月)、中ノ郷信用組合の総代の1人であるU上司にくっついて、東京スカイツリーに登ってきました。前日が運動会などで学校があったからか、振替休日のようで親子連れが大変多くおりました。また、この時は予約した人だけが展望台に登れる時期だったので、5階のすみだ水族館やソラマチ商店街に行く人とかでとてもにぎわっていました。

展望シャトルと呼ばれているエレベーターは春夏秋冬のイメージでさくら、墨田川、花火で飾られていました。私は昇りは春、降りは夏のシャトルに乗りました。地上350メートルの高さに登るのに50秒です。あっという間の出来事でした。第二展望台には第一展望台でチケットを買うのですが、その日はチケットを買うまで待ち時間60分なので、私は諦めました。

第一展望台からは本所賀川記念館の場所などを見ることができました。地元の人が多く、「あそこが家だ!」と言ってカメラに撮ったり、歓声を上げていました。遠くには海、レインボーブリッジや墨田川の下流がよく分かりました。

一通り、グルーッと回って、「この風景は関東大震災や大空襲の時には、焼け野原だったんだな」と思い、感慨深いものがありました。私は午後から仕事があったので、駆け足での見学でしたが、最高の技術と科学を感じることができました。
 
6月は学童クラブの個人面談と児童館お泊り会があります。個人面談は新入会者を対象にしているので、いつも職員と二人で面談をしています。約50人の保護者とお話しができる機会なので短い時間ではありますが、情報交換の場としています。

またお泊り会は週末3回にわたって小学生の二学年ずつ実施しています。5・6年はほとんどのプログラムを自分たちで進めることができます。1・2年生は、食事等はほとんどが大人主導です。町の銭湯に行くのも初めてのお友だちがいます。家族から離れて1日を過ごすことで自信をつけています。そして夏のプログラムの動機づけになっていきます。
 
梅雨に入ること時期ですが、できるだけ規則正しい生活をして、この時期を乗り越えたいと願っています。

歓びの言葉を語る      加藤輝勢子

求道している女性との話で、ファイル 312-1.jpg
「牧師の話は何を言っているかわからない。復活なんて、死んだ人が生き返るわけない。」というとても率直な質問を受けました。今年のイースターの説教は私が担当でした。このことにどのように応えられるかを、祈りながら、準備をしました。

与えられた御言葉はヨハネ20章1-18節でした。前半の空の墓を見に行った弟子とマグダラのマリアの客観的な事実、後半のマグダラのマリアに現れた復活のイエス・キリストの主観的な出会いの経験が合わさった記事でした。

「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです」(ヨハネの手紙1:5・13)

神の子を信じている。すでに信仰が生まれている。しかし永遠の命を得ているという重大な事実をまだ悟っていない。だから手紙を書き送るというのであります。信じた。しかし悟り、理解し、分かるために、私たちは繰り返し礼拝に出て、聖書を読み、説教を聞くのです。その意味で「イエスが必ず死人の中から復活するという言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」(ヨハネ:20・9) という言葉は、希望の言葉なのです。
 
イエスが「マリア」と呼びかけられて、悲しみに打ちひしがれていたマリアは振り返ります。「ラボニ」であった復活者イエスを認識します。そして、喜び踊るような気持ちになります。復活者イエス・キリストから使命を受けて再び元気を取り戻します。暗く沈んでいたマリアに、復活者イエス・キリストの愛のまなざしが強く注がれていたのです。その愛のまなざしを受けて、マリアもイエス・キリストの方へと振り向いたのです。   

イースターを迎え、私たちも復活したイエス・キリストの愛のまなざしをうけて、歓びを体一杯で語るものとなりましょう。

ここまで書いてきたものの、やはり牧師の言うことだけではなく、書くことも何言っているかわからない・・・・?なんて言葉が聞こえてきます。
私自身が、今年も、聖書にいっぱい触れ、歓びの言葉を語る者でありたいです。

東京スカイツリー駅 加藤輝勢子 

ファイル 306-1.jpg早いものでもう3月、年度の終わりを迎えました。そしてあれから(東日本大震災)1年が経ちました。私はあの時のことをまだ鮮明に思い出すことができます。揺れを感じた感触、不安、恐怖等々。多くの人が亡くなり、生活が一変したこと。そしてより困難な状況にある人のことを思い、不自由なことより、それらを引き受けて歩み、便利に慣れすぎた生活をしていたことを反省したことを思い出します。しかし、私はいつの間にかまた震災前の時の生活をしているように思います。

最近、少し大きな地震の揺れを感じる日が多くなりました。昨年の地震の揺り戻しなのでしょうか。大きな地震が今後4年以内に来るとか、震度7の地震が来るとか、いろいろな情報が流れてきています。どの情報を聞いても、「そんなことはない」と言って否定できるものは、何も持っていません。でも不安や恐怖におののいてばかりいると前に進めません。1年前に思ったこと、今日1日無事で過ごせたことを感謝し、明日も元気で活かされますように祈り願ったことを思いだし、これからの日々も神と人とに対して謙虚になって過ごしていきたいと思います。

3月16日、業平橋駅がとても混雑しておりました。本所賀川記念館の東武線の最寄駅なので、よく利用していますが、今日はどうも朝から人の行列ができて途切れないようです。その理由は3月17日から業平橋駅が東京スカイツリー駅になるため、業平橋駅の最後の日に「業平橋駅」の名前が入った入場券を買うためだそうです。そういえば昔、北海道で「愛国駅から幸福駅」の切符を手に入れるのがブームになっていたことを思い出しました。1970年代のことだそうです。

業平橋駅は1902年(M35)吾妻橋駅として開業、1910年(M43)浅草駅と改称、そして1931年(S6)浅草雷門駅開業により業平橋駅と改称、そして2012年3月16日をもって業平橋の名は東京スカイツリー駅に改称します。毎日のように利用している駅が110年の歴史を持つ駅であることを、今回初めて知りました。

水海道教会がこの地に教会として宣教の業を初めて、今年113年目を迎えます。共に歴史の重さを感じます。


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