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教会堂の基礎          加藤久幸

ファイル 430-1.jpg7月10日、北村慈郎牧師が正教師の地位確認等を求めて起こした裁判の控訴審判決があった。結果は控訴棄却であったが、その報告集会での渡辺英俊牧師(訴訟対策委員長)の挨拶が印象に残った。「井戸を掘った人はその水を飲むことができなかった。今回はまだ水が出ない、出なかった。その水を飲むことができるのは、後(続く世代)の人である。なお深く井戸を掘る必要がある。」
          *
教会堂の改修工事が、16日から前倒しで始まっています。想像はしていたのですが、教会堂の床一面にコンクリートがベタ打ちされていました。そして、これは想像していなかったのですが、その床を今は取り壊し再度改修しようとしています。

工事の現場を見ていると、いろいろ発見することがあります。学園からトイレへの廊下部分は後からの追加箇所だと思いますが、その部分に今は崩した瓦礫が積まれています。ここは、今度の工事で床下もベタ打ちされるのでしょうか?                

素人が設計図を見ただけでは、どんな工事になるかは想像がつきません。また、玄人でも、記録のない事項は「開けてみなければ」わからない。改修工事、事業の継承の難しさを思い知らされます。しかし、その現場に立ち会っていると、先人たちがどんな思いで会堂建築に取り組んできたのかを、あれこれ思い巡らしている自分に気づかされます‥。こういう体験は大きな恵みだと思います。
          * 
改修工事が終了した時には、今行われている基礎の取り組みは、私たちの足元・床下に隠されることでしょう。先人たちの事業や活動を受けとめ、「心を高く」、「思いを深く」抱いて、次の世代のために、今の事柄に当たりたいものだと願います。

地区の交わり              加藤久幸牧師

ファイル 419-1.jpg今年の6~7月は、地区の諸教会の集会が続きます。6月9日(日)鹿島教会・献堂式、16日(日)牛久教会・金子敏明牧師就任式、23日(日)第2回地区委員会(TCC),30日(日)守谷伝道所・開設式、7月14日(日)地区社会部・集会、21日(日)水戸中央教会・森永憲治牧師就任と続きます。この他にもまだあるようですが、連絡が届いたら、順次紹介していくことにします。

新しく教会が生まれます。守谷伝道所は守谷駅から東に500mの所にある事務所を借りての誕生です。この4月から若月健吾牧師と数名の信徒が毎週礼拝を捧げています。
 
7月14日(日)の集会の講師には、福島県いわき市の勿来教会・武公子牧師をお迎えします。演題は「原発事故に遭遇して~御旨を求めつつ被災地に留まる~」を予定。いわき市は茨城県と近く、茨城地区の牧師会に“いわき”の牧師を迎えたり、様々な関わりや連帯があっての、今回の企画であると想像します。社会部の7月集会は、初めての試みです。
 
今年は、主任牧師の交替は牛久教会だけであると思いますが、任地を求めている間、茨城地区内の諸教会に籍を置く牧師が数名おられます。
 
私は、どの共同体もそうだと思いますが、教会の歩みも“生きている”と、つくづく思います。  
 
9日(日)に行われた鹿島教会の献堂式は、とても印象深いものでした。鹿島教会は、茨城地区・関東教区の教会の中では、被災された方が一番多くいた教会であると思います。会堂建築の計画は、震災の前から進められていましたが、そのような状況で、このまま進めていいかどうかを、みんなで祈り、考え、学び、決断されたようです。

その歩みの途上で、天に召された方のことも、久保田牧師は紹介されました。自分は、新しい会堂に入ることはかなわないが、会堂ができることを楽しみにし、祈り、自分のできることをされたというのです。
 
各々の教会が、教会(イエスさま)に連なる者を覚え、祈り、家族のように、主の家族として歩もうとしています。各々の大事な時を迎えている教会を覚え、主にある地区の交わりが、さらに深められ、豊かにされることを祈りましょう。

心に響く声ー毎日新聞の記事よりー  加藤久幸

ファイル 411-1.jpg5月になって、世界の今を知る、心に響く人の声・神の声、そんな新聞記事に多く出会った。取り上げたい沢山の中から、5月12日付の毎日新聞の「視点」というコラムを紹介する。主要部分を、以下に、そのまま引用する。

村上春樹さんがこのほど、京都大で公開インタビューに応じたことが話題になっている。日本の現代文学を代表する存在で、新作がいきなり100万部刷られた人気作家だが、国内で一般の人たちの前で語るのはきわめてめずらしい。

…最も印象的だったのは「物語」をめぐる言葉だった。人間を2階建ての家にたとえるのが村上さんの持論だ。1階には家族が住んでいて日常生活をしている。2階では個人に戻って読書をしたり、音楽を聴いたり、眠ったりする。地下1階には記憶の残骸が置かれている。

地下1階からは浅い物語しか生まれない。そのさらに下に闇の深い部屋があって、そこにこそ本当の人間のドラマがあるというのだ。魂に響く物語を紡ぐには、この闇に入り、正気で出てこないといけない。

地下1階で小説を書くと批評しやすい作品ができる。そういう作家はいっぱいいる。でもその下に行かないと人の心をつかむ物語は生まれない。両者は人の心の温め方が、ただのお湯と温泉ぐらい違う。

…人間は誰でも自分の主人公の物語を持っている。大人になるに従って、それは複雑化していく。読者は小説に書かれた物語を自分の物語と比較すれば、自分の生き方を問い直すこともできるだろう。作家と読者の物語が共鳴すると魂がつながる。

…今の社会には多くの「物語」があふれている。テレビ、ゲームソフト、テーマパーク、人生論や文明論。それが浅かったり、妄想であったりしては、人を幸せにしないだろう。物語の質を見極める能力が、現代をよりよく生きるには必要なのではないだろうか。

牧師の生業(なりわい)も、物語を紬ぐ作家の営みと似ている。聖書の深淵に降りて行き、戻ってくる。危険だが源泉に触れる喜びありと心得たい。

一期一会に祝福あれ!       加藤久幸牧師

ファイル 402-1.jpg新しい年度の歩みが始まりました。今日は、新しい出会いと歩みについて、最近感じたことと問いかけを述べたいと思います。
 
最初に、学園は私立で、“教会”幼稚園なので、キリスト教の作法で入園式や他の様々な集まりを行いますと、入園手続きの時にお話をしています。先日、新しく仲間に加わってくださった先生がお祈りしている場面に出くわしました。

聞くと行うでは大違いです。その先生の心境を想いつつ、自分が人前で初めて祈った時のことを思い返しました。各々の状況も違うので、決して参考にはならないけれど、私は30数年前にこんなふうに感じこんなふうに祈ったとお話をしました。

2つ目は、今回の青年会のリレーエッセイに出てくる「仙台研修」のこと。学園では、教職員に野田沢さんの「希望をつむぐ」という本を配布しました。そして、「寄り添う」ということを考え体験するとの趣旨で、現地研修を行いました。参加者の7名は、ワーク(ボランティア)と被災現場に立つフィールドワークも経験しました。

O先生は、こう述べています。「今回、行って良かったのか?行く意味はあったのか?自分でも消化しきれないほどの情報や思いを抱え、未だ気持ちの整理がつきません。一つ言えることは、ワーク先の佐藤さんがきれいになった部屋を見て喜び、感謝して下さったこと。私もそれが嬉しかったということです。」

3つ目は、KKSのお泊り会のこと。この会に参加するために、初めて教会に足を踏み入れた5名を始めとする、中学生の感想、思い。正直、いいなあ~、すごいなあ~、と感動しています。

私たちが経験する新しい出会いや歩みは、当の本人も、そこで起こっている出来事の10%も1%も受けとめていないのでは? 全部がわかるわけではないけれど、自分の経験したことを話したり文章にしようとすると、その10%も1%も自分が受けとめられず伝えられずにいると感ずるのでは? 私たちの新しい出会いや歩みは、実際こんなふうに営まれているのでは? 

1%でも1万分の1でも、経験や思いを大切に分かち合おうとする時、“こどば”が輝きを放つのでは? 各々の新しい出会いと歩み、一期一会に祝福あれ!

あなたは何を蒔くのか? 加藤久幸牧師

先週3月10日、水海道教会で「3.11東日本大震災2周年記念礼拝」として主日礼拝を捧げた後、教会の婦人会総会が行われた。開会の挨拶をして、つくばに移動し、茨城地区総会に出席した。その後、宮島牧人牧師の送別会を有志で行い、その日は何人かとつくばに宿をとった。翌朝、県南地区早天祈祷会に参加して栃木に向かい、3月11日14時からの関東教区「東日本大震災」被災2周年記念礼拝に参加した。その後、被災支援委員会に出席し、夜遅く水海道に帰った。
 
沢山のことがあったが、教区の集会で挨拶をされたプーシン・タ-リ(布興大立)牧師のことを紹介する。先生は原住民の出身であり、現在台湾長老教会の議長をされている。

ルカ福音書の13章18~19節を示し、「あなたは何を蒔いたのか」と語りかけた。先生は、日本人が台湾に3つの希望の種を蒔いたと、話された。

①原住民・台湾にキリスト教を伝えた「信仰の種」。この出来事も印象深いが、今回は紙幅の関係で、割愛する。②は「友情の種」。1992年WCC(世界キリスト教会議)総会で、中国の教会のWCCへの参加が審議された。その時、中国の教会は、台湾の教会が中国の教会の下部組織となり、名称を変えることを要求した。この時、日本の教会代表の牧師は、「台湾が脱退することがあるなら教団も脱退する」と公言した。③は「人権の種」。

台湾では40年間戒厳令が敷かれていたが、教会の代表であった高俊明(こうしゅんめい)牧師は「台湾は民衆の国になる」と願い歩み、自らも投獄された。この間、日本の教会は高牧師を支援し台湾の教会を支えてくれた。

プーシン先生は、日本人が蒔いた種を日本人(筆者注:日本の教会)は忘れたかもしれないが、私たちは忘れないと語った。この種蒔きのゆえに、台湾の教会は、情熱をもって、今回の被災に際しても、人を送り、献金を送った。教団に届けられた外国募金2億3千万円余の3分の1の8千万円が台湾長老教会の献金であるが、これでもまだ少ないとプ-シン先生は言われた。
 
どれだけの実を結んだか、多くを与えてくれたから厚遇するなど、成果主義や儀礼主義に流されがちな中で、先生の「あなたは何を蒔いたか」のメッセージは心の奥底に深く響くものであった。
 
先生は、「悪い種」を蒔くことにも言及された。昨年11月、教団議長が台湾を訪問し、今年開催されるWCC総会で「教団と台湾の教会が協力して原発をゼロとする取り組み」を約束したそうだ。

先生は、毒をもつ種(原発)は神の創造を破壊し、これを阻止することができなければキリスト者は使命を果たしておらず、資格もないと、語った。そして、私たちが、もっと声を出し、力を出すなら、世界の教会は支持をしてくれるだろうと、希望を伝えた。これは、私たち教団へのメッセージなのだと、私は聞いた(3月11日の教団議長声明、台湾長教会の応答もこのことに関連している)。
 
先生は、メッセージの中で、②「友情の種」と③「人権の種」を蒔いた君島洋三郎牧師の名前を口にした。日本の公の場では意外にも聞こえたが、プーシン先生の「忘れない」という思いからすれば「当たり前」のことであったのだろう。

実は、この集会に来ることができなかった君島牧師から挨拶を託されており、その旨を伝えたところ、今晩会うことになっていると打ち明けてくれた。両牧師から多くを学んだ私であるが、「忘れない」を改めて学ぶとことになった出会いであった。

私たちは、レントの日々を歩み、イエスの十字架に遭遇し、復活の出来事に触れることになります。「わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいた時に訪ねてくれた。」(マタイ25・35~36)。

イエスは、私たち一人ひとりに、信仰・友情・人権(命)の希望の種を蒔いてくれました。この人、イエスのことは忘れることができない。「あなたは何を蒔くのか?」 イエスにならい、イエスのように、「神の国」の希望を想い起こし、互いに忘れず、新たに歩み出したいものです。

高齢者を包む主を証しする   加藤久幸

ファイル 390-1.jpg水海道教会の臨時教会総会が、2月3日に行われました。予定した二つの議案は承認されました。  

今日は、この二つの議案の背景について、私なりに感ずるところを記しておきたい。 

今回の2つの議案は、水海道教会の幼児教育や教会学校の取り組みが関連しています。戦前からの教会学校の取り組み、1946年(昭和21年)から始まった二葉幼稚園の取り組みがあります。とりわけ、水海道教会は、二葉幼稚園が教会幼稚園としての使命を十分に果たすことができるよう、何事があっても責任を果たすことができるよう、基本財産(金)を大切に捉え備えてきたと想います。

その二葉幼稚園は1998年(平成10年)学校法人を設立し、運営責任は水海道教会学園が担うことになりました。譬えていうならば、水海道教会から生まれた「愛する子」(二葉幼稚園)が自立することになったのです。自立の歩みを始めた水海道教会学園が、教会幼稚園としての歩みを備え進めています。当然、関わりは変わります。水海道教会は、自立した「子」の歩みを尊重し、いたずらに干渉せず、暖かく見守り、祈り、支えることになりました。この教会の「親」の責任は、今後も変わらず、むしろますます大きくなるでしょう。 

「愛する子」が自立する時に、「親」の生き方・歩みも問われます。言わば、教会も自らの歩みを受けとめ直し、新しいスタートをきることになります。今の教会は、教会員数や年代構成などを考えると、一人の「人」が高齢となった時に感ずるような、課題を抱えていると想います。先行きの不安を感ずることもあります。言わば、教会自体が、第2の人生どころか、高齢者の歩みそのものを生きています。

これは、日本の社会全体がこの傾向にあり、教会はその先を歩んでいるともいえるでしょう。日本の近代の世の歩みを省みると、不安になると「自己責任」が声高に叫ばれ、「金(富)が全て」という動きに絡めとられてきました。 

今回の教会の決断は、若い時を懐かしむものでもなく、不安や恐れを口にする歩みから高齢者を導く主に信頼を寄せる歩みへの、転換だと言えるでしょう。教会にはいろんな年代が集いますが、私たちは高齢者が「いこう」(息う・憩う)、高齢者を包む主を証しする教会でありたいと願います

臨時教会総会にむけて     加藤久幸

教会の会堂建築は、教会を揺るがす大事業である。私は、3つの教会を牧してきたが、会堂建築は経験したことがない。しかし、時に応じて、会堂の整備や関連施設の改修を経験してきた。規模の違いはあっても、会堂、私たちの「住まい」に手をつけることは、教会を揺るがす事業となる。
 
水海道教会は、来たる臨時教会総会で、二つのことを決断しようとしている。

①教会基本財産の組み替えに関する件、②教会堂整備に関する件である。具体的な内容は総会議案書に譲るが、①は、基本財産の約2500万円を設定し直し、その内の1500万円を施設整備積立特別会計に移すというものである。②は、教会は時に応じて会堂境内地の整備を行うが、今回はバリアフリーに焦点を当てた基本的な改修工事を行うというものである。

私は、会堂整備の際、いつも聖書の言葉を思い出す。「あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それは、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。小さい群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12・29~32)。

神は、従って歩む者を通して、神の業を現される。私たちは、この神の約束を信じて、この約束を生きる者でありたい。私たちに示された地で、先ず神の国を求めたい。神を信じて生きる教会を求めて歩むならば、その途上で、時に適って、教会の活動、教会の会堂等が、加えて与えられるであろう。

会堂の整備というと、私たちは、建物を、しかも、教会の働き・機能から考えるであろう。とするならば、教会の第一の機能は、神の前に招かれて共にいこう(息う・憩う)ということにある。

冒頭、私たちの「住まい」に手をつけることは教会を揺るがす事業となると、述べた。それは、神を信じる私たちの信仰が揺さぶられることに他ならない。私たち自身が、「先ず神の国を求めよ」に聞き従う、神の「住まい」となるかが、揺さぶられているのである。もし、そうであれば、そうなるならば、思い悩むものは加えて与えられる。「小さい群れよ、神は喜んで神の国をくださる。

今年の漢字、私なら・・・   加藤久幸

ファイル 373-1.jpg今年の漢字は「金」(日本漢字能力検定協会選定)。シドニー五輪があった2000年も「金」。95年からの発表で同じ漢字が選ばれるのは初めてのこと。今日は衆院選。私の注目の野田首相は、今年の自分をあらわす漢字と問われて「決」を選んだ。私なら「黙」か「空(くう)」を選ぶ。

今回は、最初に、松居直さん(児童文学者)のことばを引用する。「育ちのなかでことばの体験の貧しさが気になります。頭のなかには情報や知識につながることばはたくさん詰まっていても、心のなかに働くことばがからっぽなのではないかと感じたりします。

心のなかにゆたかなことばがたくわえられていないと、人の気持ちを感じとり、人と気持ちをかよいあわせることはできません。人の恐れや痛みや苦しみや憎しみを思いやることもできません。私たちの育ちの初めに、お母さんのことばがあったのです。

‥お母さんの腕に抱かれ、シャワーのように降りそそがれるお母さんの声。声のする方を視ると口と顔がみえ、眼と眼が合います。お母さんの匂いがし、抱かれている腕や胸のやわらかくて温もりのある膚を感じます。

そしてお乳の味!こうして母と子の間に、五感をとおして強い強い一体感が生まれ、共に生きる歓びが母子で共有されるのです。歓びは受け入れる力であり、愛は互いに受け入れる体験です。歓びこそが生きる力です。歓びが歓びを生むこと、それがしあわせというものです。」(『声の文化と子どもの本』23~24頁)。

若い時、聖書の神と出会った。闇に閉ざされ、沈「黙」し、「空(くう)」と自覚しつつ、歩んでいた。「五感をとおした一体感」「歓びを共有する体験」をするとは想ってもいなかった。イエスの降誕物語には、「神は我々と共にいます」を体験した人々が登場する。博士の一人は「金」(拠りどころ)を捧げ、神との共通体験を「生」の拠りどころとした。  

私は、今年、五感を通したアドヴェント体験、思い出に残るクリスマス体験をと、願っている。揺れ動く様(さま)、「黙」「空」が広がる今年の現実を悲しみつつも、「歓」が現れることを信じてやままない。来る年こそ「歓」にしたいものである。松居さんのひらがなに触発され、「幸せ」は「仕合せ」の道と示され歩み出したいと願う次第である

明日を起点にして今日を生きる                 加藤久幸牧師 

 
園庭の大きな欅の落葉を片付けながら、様々に思い巡らす。「葉っぱのフレディ」のお話をした夏のキャンプ。初冬を迎えている被災地の生活。そして、安炳茂(アンビョンモ)の「夜立ち来れば」(『解放者イエス』所収)という文章。

安牧師の一部を紹介する。 「われわれには、生を見つめる2つの目がある。たとえば、われわれは、子どもが成長する時、過去を起点にして計算する時である。しかし、その起点を、人間の終点または未来から見る時、事実は、大きくなっていっているのではなく、それだけ、その生が短くなっていっているのである。ある人は、約束の日を待ちつつ、喜ぶであろう。

しかし、ある人は、その約束の日が近づくにつれて、同時に、彼と会った後、別れる日もそれだけ近づくといって悲しむであろう。会うことの喜びは分れの悲しみと恐れを伴う。このように、夜とは、過ぎし昼から見る時は、徐々に闇に近づいているのであるが、来るであろう夜明けや、明日の朝を起点として見る時は、それだけ、新しい朝に近づいたのである。

キリスト者は、明日を起点にして今日を生きる人々である。それだから、今は、たとえ全てが閉ざされているようであっても、その暗黒の隙間から照らされる黎明を先取りして見ることによって、新しく息づいて生きるのである。」  
 
16日衆議院が解散した。突然の解散に打ってでた野田首相を外国はどう見ているかという記事(「金言」毎日新聞16日)があった。「もともと駐日外交官の間では野田政権の評価は総じて高かった。

理由は①内政、外交のかじ取りにブレがない。消費税など困難な課題で実績をあげている。③粘りに強い―というものだ。」 私が特に共感を覚えたのは次の指摘である。「国会の論戦をこれまでも聞いてきたが、答弁にいつも関心させられていた。論理的で心がこもっている。

小泉純一郎元首相は『ワンフレーズ政治家』と言われたが、野田首相は自分の言葉を持っている。」(東南アジアの外交官) 各々の評価はあろうが、私たちの時代が、歴史の転換期にあることは確かであろう。
 
御国が近づいているとの喜びをもって、今年のアドヴェントを迎えたい。黎明を見出しつつ、希望の言葉を分ち合い、この時を過ごしましょう。

人間ドラマ            加藤久幸牧師

10月前半、世の中にはいろんな話題があったが、多くの人が注目したのはノーベル賞だろう。医学生理学賞を受賞した山中伸弥さんは人工多能性幹細胞(iPS細胞)を作りだすことに成功。受賞理由「成熟した細胞を、多能性を持つ状態に初期化できることの発見」という研究内容、さらには今後の展開も興見深いのですが、私は人間ドラマに焦点をあてて思い巡らしたい。
 
山中さんは、米国留学中、R.メイリ-研究所長から、研究者として成功する条件は「ビジョンとハードワーク」、つまり、長期的な目標を持ってひたむきに努力することだと教えられた、そうだ。最初、整形外科医を目指し医師として歩み始めて挫折した時も、留学後、研究者として歩む途上で苦境に陥った時も、彼はビジョンを忘れなかった‥。臨床医か研究者か、自らの働きを変えるような大きな揺れを経験しながらも、「苦しむ人を癒す」というビジョンは揺るがなかった。そして、どの時も、ひたすら努力した。
 
話は変わるが、彼の受賞を告げる10月9日の新聞にこんな記事があった。「一度きりの復帰打席で3球三振、そしてスタジアム中が総立ちで祝福する。先週、優勝争いより心が動いた大リーグのニュース映像である。

‥アダム・グリーンバーグ外野手(31)。05年にカブスで大リーグの初打席に立ったマーリンズ戦で、初球のスピードボールを頭に受け倒れる。この後遺症で、彼は、大リーグから遠ざかる。しかし復帰をあきらめず、マイナーや独立リーグなどでプレーを続けた。ファンの応援も広がった。そのひたむきさに因縁のマーリンズが動く。

『1日限定』で契約を結び、2日のメッツ戦の六回、代打で打席に送った。もちろんこれは余興ではない。こうあるべきだという目に見えぬ大きな意思や、多くの人が暗黙のうちに分かち持つ、価値観のようなものが作用したのではないか。」(毎日新聞 火論「夢の3球三振」)
 
この「火論」は「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)という米映画も短く紹介している。大リーグの試合に1イニングの守備に出ただけで球にも触れず引退し、医師になり、献身的な活動で慕われたアーチー・グラハムという実在の人物も登場する。一度は見ておきたい映画である。

山中さんは何度も周囲への感謝を述べた。「長期的な目標をもってひたむきに努力する」は、人間として成功(納得)する生き方である。賞を得たかどうか以上に、この人間のドラマが世界をめぐり、多くの人に共感を与えた。とりわけ、苦しむ人、ひたすら歩む人に、希望を示したのだろう。


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