http://mitsukaidou.com
日本キリスト教団 水海道教会 サイトマップページへ プライバシーポリシーページへ
トップ 教会の紹介 牧師の挨拶 教会学校 キャンプ リ ン ク メール
教会からのお知らせ
最近のトピックス
教会学校ニュース
グループのニュース
牧師の部屋
副牧師の日誌
教会員のエッセイ
キャンプニュース
地区教区ニュース
今週のお花

記事一覧

東日本大震災復興支援センター「エマオ」

ボランティア活動に参加してM.M

3.11東日本大震災発生から2年5カ月が過ぎました。その間、私はボランティア活動に参加したいと思いながらも行動に移すことが出来ないでいました。ある時、A.Sさんも同じ思いでいることを知り、話し合って、6月24日~26日の日程で仙台支援センター「エマオ」に行くことになりました。
 
24日、仙台市内を散策しながら支援センター「エマオ」の場所を確認してホテルに戻り、翌日に備えました。25日午前7時30分「エマオ」に集合。初めての参加者はスタッフからワークの注意事項や「エマオ」で大切にしていること―「寄り添い」「スローワーク」等のお話を伺い、お祈りの後車で中継場所の「エマオ笹屋敷」に集まり、その日の作業内容が知らされ自分の希望する場所に散らされ作業を行いました。私たちは、4人のグループでNさん宅で草取り作業でした。

スタッフの方が「スローワークですよ。残っていても大丈夫ですよ。」と言われました。自分のペースでなく住人の歩調に合わせることが大切で、それを明日に繋げて行こうという気持ちが伝わってきました。

26日は「エマオ」から仮設住宅へ行き収穫していた野菜の保管や野菜の種まきをし、その日の作業は終わりました。実働3時間くらいでした。

笹屋敷に戻り全員で海辺の荒浜地区へ連れて行っていただきました。12メートルくらいの津波に襲われ800世帯くらいあった家は跡形もなく、基盤だけが残っていました。私たちは言葉もなく見つめているだけでした。
 
被災地の方々は、ボランティアの手を借り立ち上がろうとしています。私たちが行った時の作業内容は、野菜苗の移植、畑の草取り、庭の草取り、畑の石拾い、ゴミを捨てる大きな穴掘り、ビニールハウスの組立等でした。

これからは生活支援のお手伝いです。まだまだボランティアを必要としていることを感じました。スタッフの方々が被災者に寄り添った働きをされているのを目の当たりにし、現地に行けなくても違った形で支えていきたいと思いました。

青年会リレーエッセイ 第14回

✿☾ 大好き ❄ 夢の世界 ☆∽E.A 
今日は私の趣味“舞台鑑賞”についてお話をしたいと思います。

“舞台”といっても様々ですが、一番は宝塚歌劇です。宝塚?突然歌い出すあれでしょう??という方にここで少しご説明を。

宝塚は1914年に初の公演を行って以来、未婚の女性だけで構成された歌劇団です。ちなみに来年2014年に、100周年を迎えます。現在は花・月・雪・星・宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれて公演を行っています。女性だけの劇団のため、男性役も女性が演じ、男性の役を「男役」、女性の役を「娘役」と言います。入団するには「宝塚音楽学校」で2年間様々な事を学ぶことになっています。

さて、私が宝塚に出会ったのは中学2年、家のテレビでBS放送が見られるようになった時です。何気なくチャンネルを変えていると、イケメン発見!すぐに見入ってしまい、終わった頃にはその世界にどっぷり入り込んでいました。今までにないかっこよさ・美しさ・華やかさ!

番組の最後に出た≪宝塚歌劇≫の文字を頼りに本屋さんに行き、手当たり次第に本を見て(今のように自由に使える携帯やパソコンはなかったのです…)あの時のイケメンはトップスター・真矢みきさんだったこと、宝塚には “組”があることなどを調べました。本を読み、写真を見ているだけだったのに、楽しかったなぁ~。

初“生”観劇の時は(東京で観ました。)劇場に入った瞬間の空気感に、一瞬にして宝塚・夢の世界にひたり、その空間にいた3時間はあっという間でした。とても幸せで、楽しくて、嬉しくて…テレビ観劇との迫力の大きな違いに終始大興奮でした。

本物の“大階段”はかなりの迫力!!その後は、舞台を観てお目当てのスターさんをみつけては大喜びで、『今日は宝塚観劇~。』という日は、朝からソワソワしていました。

なかなか劇場に行けず、また、違う趣味に手を出したこともあり、しばらく宝塚から離れたこともありましたが、最近になり完全復活!月に1度は劇場に足を運び、たくさんいる大好きなスターさんを観て、夢の世界に入り込んでいます。次回観劇予定は私の誕生日・7月28日、大好きな星組の『ロミオとジュリエット』です。今からかなり楽しみ!!

やはり舞台は“生”が一番!迫力が格段に違います!絶対に損はしないはずです!みなさんも一度“宝塚・夢の世界”を体験してみてはいかがですか?

青年会リレーエッセイ

私流・登下校の楽しみ方           K.Mファイル 423-1.jpg

5月29日で蜘蛛のレースが輝く季節に入りましたね。
風にあおられ緑の木の葉から雨水が落ち、水面に波紋を成す。音を奏でる。世界を色鮮やかに塗り直すシャワー。

そう、世界は美しいのです。

いつもの通学路。電車を乗り継いだ後、大学までは歩いて約25分、バスで約5分かかります。私はたいてい歩きます。理由は二つ。

まず1つ、バス代です。1回130円。1年に通学する日が約6か月(←!) 、4年で93,600円。ね?大学4年間使うだけで十万近くかかるのですよ?個人的に徒歩で約25分の場所まで金を出したくありませんよ。(親の金ですが。)

そして2つ目。歩きでしか見られない景色を、季節の移ろいを、楽しむためです。まあ、主にこっちが理由ですね。毎日同じように見えて、少しずつ変わりゆく風景。四季の写真を見て、「桜だ」「入道雲だ」「紅葉だ」「雪だ」と感じるのは誰でも一緒。

しかし、それらにはその状態へ向かう工程があるのです。私はそれを見て、感じるのが好きなのです。その時にしかないモノ。その瞬間だけのモノ。例えば木の葉。例えば花。風、雲、空。色や形、音に匂い。はっきりした違いはないけれど、歩いていると、フッと気付く。どの季節でも、どんな時間でも、どのような天気でも。そして、気付くたびに心が穏やかになります。元気が出てきます。感動します。

ほとんどの学生はバスを使っています。それ以外の学生の多くは携帯や音楽機器を使いながら歩いたり、友人との会話にいそしんだりしています。

両者とも周りの風景なんて気にしていません。5分のバスの中で、機械操作や会話の中で、誰も、道端の小さな花に目を向けたり香りを嗅いだりしませんし、できません。空の色、雲の形に息をのむ人もいません。
もったいないと思いませんか?

確かに、気にするほど余裕のない時もあるでしょう。それでも、そこにあるのです。とても美しくそこにあるのに。みんな、素通り。
記憶にとどめろ、とは言いません。ただ、見てほしい、知ってほしい。こんなにも輝いている世界。当たり前だと思っている周りの景色。その“当たり前”が簡単にひっくり返るのは3.11でわかったはず。

だから、たまには天空のアートや植物のドレスアップを眺めたり、風の囁きに耳を貸したりするのも良いかと思います。

私はこうしていつも、学校への行き帰りを自分の足で歩き、楽しんでいます。

青年会リレーエッセイ 第12回        

右から「2」番目                   A.O

ちいさいころ、ドラえもんのアニメを見ていたときのこと。スネオを女の子にしたような登場人物が出てきていた。(その時のみのエキストラで名前もない登場人物であった気がする)その登場人物に自分は「7」という数字の印象を感じたことがある。

自分は大学にいたころ数学を学んでいた。それと関係があるかは分からないが、ちいさいころにそんな突飛なことを考えていたくらいだから、やっぱり数字に対して他の人とは違う印象を感じていたのだろう。

さて、今回の表題にある「2」。自分が一番好きな数字がこの「2」である。
「この数字が一番好き」とかいう時点であまり他人に理解してもらえないことで、根気強く自分の話を最後まで聞いてくれる友人がなかなかいないため、今回誰にも邪魔されずに最後まで話しきってやろうと思う。

0~9までの数字には、曲線のみで表現される数字と、直線のみで表現される数字と、曲線と直線を組み合わせて表現される数字がある。自分は、曲線の部分に対しては未発達な印象を、直線の部分に対してはしっかりした印象を感じていた。

そんな中、この「2」という数字は唯一、曲線→直線の順につながっていく数字で、「最初はだめだが最後にはしっかりする」みたいな印象を持てる数字だった。(9も書き方によっては曲線→直線となるが、全部曲線で書かれる場合もあるので)

こんなことをほんわか考えていた中学生のころ、夏休みの卓球部の練習中、体育館の脇にある水飲み場で水を飲もうとした。水飲み場はステージよりに一つと入口よりに一つあり、各々4つの蛇口がついている。

ステージよりの水飲み場に行くと(よくステージよりの半面を卓球部では使っていた)、ちょうど右から2番目の蛇口のハンドルの部分がなくなっていた。水を出すためにはぎざぎざのついた小さなつまみを力強くつまみながらまわすしかない。すぐ隣に完璧な蛇口がある中、そんなことを好んでやる人はもちろんいなかったため、おそらく誰も使っていない蛇口となっていただろう。

また、入口よりの水飲み場に行くと、こちらも右から2番目の水道の蛇口の先だけがひしゃげていて、上を向けて水を出すと一部の水が変な方向に飛んでしまう形になっていた。いつしか自分はこの不完全な蛇口たちを毎度毎度好んで使うようになっていた。

それ以来、体育館脇の水飲み場ではもちろんのこと、そのほかの場所でも出来る限り右から2番目を選ぶようになった。例えば公衆トイレ、例えば電話ボックス、例えば靴箱…。今でもそれは変わっていない。教会のトイレも右から2番目しかつかったことが無い。

以前家族で旅行に行った際、脱衣場のかご入れの配置が以下のようになっていた。

一つ一つのかごの仕切りが4×4の16カ所、それをひとかたまりとして3つ横に並んでいた。全部で48個のかごが入っている。こんな時、自分はどこを使うのか。それは右から2番目のかたまり(まんなかのかたまり)の、右から2番目の列の上から2番目の段のかごを使う。この時も半分無意識にその場所を選び、持っていたバスタオルを入れる時ふと見ると、それぞれのかご入れにナンバリングがされていた。

そのナンバリングは右端の一番上から縦に1・2・3・4・・・と続いていく形だったのだが、ちょうど自分が選んだかご入れの番号は22番。右から「2」番目のかたまりの右から「2」列目の上から「2」段目が「2」「2」番目のかご入れだったのだ。ファイル 415-1.jpg


こんなことで感心し、幸せを感じることができる。そんな自分を我ながら幸福に思う。

よろしくお願いします。

日本基督教団 
正教師 太田 光夫

今度、福井県の丸岡教会を辞し、次の任地が与えられるまで、水海道教会に礼拝出席させていただく太田光夫です。福井の教会には後任の伝道師が赴任しましたので、ご安心ください。私も粗忽者でして、新しい教師が着任した後で、自分の行き先が決まっていなかったことに気づきました。あわてて探しても、人事のシーズンは区切りがついていまして、次のシーズンを待たなければならないようです。それまでの間、主の日の礼拝に、共に預かり、喜びの時を共有させていただければ幸いです。
 
もう少し、長く福井にいる予定でしたから、働きもこれから地道にと、思っていました。教会、幼稚園の体制も何とか整ってきたところでした。丸岡教会は柴田勝家の甥が築城した日本で現存する最古の平城を中心に形成された町に100年近い歴史を刻んできた教会です。歴史の長さと、教会の働きとは、乖離(かいり)していることも感じさせられます。

着任3回目の礼拝で、牧師、奏楽者、司式者の3人の礼拝を守りました。現住陪餐会員は、8名。礼拝には牧師の連れ合いと客員夫婦、教会員が2名ほど、一桁の礼拝出席者で2年3ヶ月を過ごしました。

丸岡町は、平成の大合併で、坂井郡にある三国、坂井、春江と合併して坂井市になりました。県庁所在地の福井市の北隣に、帯状に九頭竜川に沿って位置しています。

さて福井県は日本一覚えてもらえない県だそうで、あまり有名なものがありません。西の外れには名所東尋坊があります。また東の山の中には永平寺があります。歴史的観光地といっても、それぐらいです。現代の話題の中心になっている「原子炉、原子力発電所」は、国内の50%近い数が建てられています。赴任した年のあの地震以来、安全面での問題が問われていますが、福井県人は何も声をあげず、原発立県だということを主張もしていません。昨年8月に敦賀教会に、交換講壇でおじゃましましたが、役員の中に「日本原電で働いています。」と、胸を張る人がいたのを思い出します。教会の中に既に原発問題を語れない状況が、確として存在しているのです。

丸岡教会は、そう言う意味では多少とも自由な発言が許されていましたし、私のことですから、口にフタをされるほど、「王様の耳はロバの耳」と、叫ぶような性格ですので、週報のコラム欄には何度も原発についての意見を書いてきました。
 
敦賀原発2号機の真下に活断層が走っていると報告がされています。解体過程では、雇用の増加や技術の開発で、福井県の産業界は飲料水や農産物にまでいたる大変革がもたらされるだろうと予測されています。そんなことで、よく耳にする県になっても嬉しいものではありません。福井の宣教課題を認識し、これからと思いつつ、福井を離れました。
 
不完全燃焼の思いは、大きく残っています。草間碩翁は、福井を離れてその備忘録に、「福井での伝道は、失敗だった」と書いています。その甥の草間信雄牧師は、福井を離れる際に靴を脱ぎ、靴底を合わせて叩いたとも聞いています。不思議な思いがしています。福井と草間の血筋の者、両者はどちらに問題があるわけでもないのにと、考えさせられます。
 
でも、愛することは、自分の立つところに留まるのではなく、自分の場所を動かすとき、愛の真実さが体感できるのですから、福井に留まることをしなかった生き方も、神の指し示された私の生きる道なのかもしれないと受けとめています。
 
同じように、少しずつ動いて、私と玲子さんの場所を空けてくださった水海道教会の皆様の愛に感謝しています。どうぞしばらくの時、礼拝でお会いできる喜びを分かちあいましょう。よろしくお願いいたします。 

青年会リレーエッセイ  「仙台研修」                 M.O

ファイル 404-5.jpg3月24日の夕刻、仙台に出発。到着は11時半頃、仙台の街の中はネオンが眩しく輝き、たくさんの人で賑わっていました。

翌日、東北教区被災者支援センターエマオへ入りました。春休みの為、学生を中心に、60~70人のワーカーさん(ボランティアの方)が集まっていました。

初めのオリエンテーションでは、ワーク(ボランティア)に入る上での注意事項、被災地の現況、何より“スローワーク”とは何かを話されます。「頑張って、結果を残そうと考えないでください。ワークに入るお宅の方のペースに合わせて、ゆっくり行ってください。」そんなスタッフさんの言葉がとても印象的でした。

ファイル 404-2.jpg14キロの道のりを自転車で向かいます。行先は“笹屋敷”。(人数が多く自転車が足りない為、私たちは車で向かいます。)仙台の賑やかな街並みとは裏腹に、車を走らせる毎に見えてくる風景は、建物が減り…民家が減り…壊れかけた塀、枯れて傾いた木々の姿・・・

笹屋敷につくと、ワーカーさんたちはそれぞれのお宅へと振り分けられます。私は学生2人と共に、“佐藤さん”というお宅に入りました。佐藤さんのお宅には80歳ほどのお話好きな正さんと、震災後認知症になったというレイ子さんのお2人が住んでおられます。そこでのhttp://mitsukaidou.com/cgi/news/news.cgi?mode=image&upfile=404-1.jpg','win','width=560,height=440,toolbar=0,menubar=0,resizable=1,left=0,top=0').window.focus();">ファイル 404-1.jpgワークは主に掃除でした。佐藤さんのお家は、床はきれいなフローリングでしたが、壁やドアなどには胸の辺りに一本の筋が・・・「震災の時には、水がここまで入ったっちゃよ。」と、正さん。一見きれいな家もよく見ると震災の傷跡がまだ残っています。

始まって一時間もたたないうちに「お昼ごはんにしよう!」と誘われ、皆で昼食。ワーカーの人たちはコンビニでおにぎり等を買っていきますが、お宅によっては、「食べろ、食べろ」と食事を振舞ってくれます。佐藤さんのお宅も、「お昼、持ってきてるんだろう」と言いつつも、煮物や刺身、ホッキご飯が振舞われました。食事の間は、正さんとの談笑の時間です。今思えば、二日間、お宅のお手伝いというより、正さんの話しを聞くことがメインだった気がします。

ファイル 404-3.jpg二日目は、漬物のたるを洗い、ほうれん草の収穫をし、お昼の準備や片付けをしました。しかし、やはりメインは正さんとのおしゃべり。この日は、正さんがしていた仕事の話、レイ子さんとの馴れそめなど…話が進むにつれ自然と震災の時の話へと変わっていきました。

正さんが言うには、地震が来ることも津波が来ることも分かっていたし、避難経路も考えていた、といいます。津波が来る際、海岸線を走っていた車が何十台も押し流されてきたこと、自宅の勝手口の前に何台も積み重なりきっと中に人がいるだろう、と考えていたこと。避難先では、なかなか津波が来なかったが為に家に戻ってしまった人がいたこと。「こたつの線を抜き忘れたと、家さ戻ったっちゃね。戻った人は皆だめだっちゃ…」「なんであんとき、もどったっちゃね」とぽつりぽつりと話す正さんとレイ子さん。

ファイル 404-4.jpg心深くに震災の傷が消えることなく残っていることを強く感じます。実際に体験した人の言葉はとても強く、語られる話からはまるで映像を見ているかのように、その時の情景が鮮明に伝わってきます。

今回、行って良かったのか?行く意味はあったのか?自分でも消化しきれないほどの情報や思いを抱え、未だ気持ちの整理がつきません。

一つ言えることは、ワーク先の佐藤さんがきれいになった部屋を見て喜び、感謝して下さったこと。私もそれが嬉しかったということです。

被災者の中には、引きこもりがちになり人と会うことが困難な方もいます。未だ震災の傷は深く癒されてはいません。本来の復興っていったい何でしょう。
 
今回私にとって、佐藤さんとの出会いは大きいものでした。遠い仙台の地で今後も元気に仲良く過ごされることを心より願っています。

「究極のエコカー 」             K.M

皆さんは車に乗りますか? 便利ですよね、車って。現代は車社会と言われていますが、様々な環境問題の中、車の燃費も格段に向上しハイブリッドや電気自動車など環境にやさしい車も発売されています。

我が家にも、特に環境にやさしく優れた車があります。なんと!この車を購入する時の税金は消費税以外かかりません!いわゆる100%免税?です。しかも化石燃料は全く使用しませんので、体力が続く限りガス欠の心配もありません。が、多少のCО2は排出してしまいます。ある程度の荷物を運ぶこともでき、子供から大人まで運転する事も可能です。但し、小学生は免許が必要な場合があります。(息子達が小さい時はそうでした。) 様々な車種が発売されていますので、目的に合わせ選ぶことができます。

私が乗っている車種は、シートの取り付け、取り外しができるタイプで息子達が小さい頃は2人乗り、3人乗りと自由自在に変化させて大活躍してくれました。(最近、危険な乗り方として問題になっていますので、注意が必要ですが・・・) 今は、1人乗り専用車になって荷物運びを充実させた型になっています。晴れた暖かい日はこの上なく気分良く運転することができますが、基本的にオープンカーですので、冬の寒さ、雨の日、風の強い日はとても辛いものがあります。

ここまで読めば、この車が何なのかおわかりでしょう!?(最初から解ってた方も?)
それは『自転車』です!! 自転車は私にとって『とても便利な乗り物』で毎日、相棒となって手足のように走ってくれています。とは言っても車両ですので交通ルールは守らなければいけません。
 
自転車に乗るには、うってつけの季節がやってきます。爽やかな風を感じて、今日も我が相棒『自転車』にまたがり、いざ、出発!!  皆さんも、いかがですか?

青年会リレーエッセイ   七草粥     K.S

明けましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいします。今回はお正月ということもありまして、七草粥のことを調べてみました。七草とは、人日(じんじつ)の節句(1月7日)の朝に7種の野菜が入った粥を食べることです。七草といっても七草には、春の七草と秋の七草があり、お正月に食べる七草粥は、春の七草を入れて食べます。

春の七草は、芹(セリ)、なずな、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベラ)、仏の座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、蘿蔔(スズシロ)の七種類の草のことをいいます。

芹は別名白根草といい、セリ科の植物です。ナズナは別名ぺんぺん草や三味線草といいアブラナ科の植物です。御形は別名、母子草といいキク科の植物です。繁縷ははこべらといい、ナデシコ科の植物です。仏の座は別名小鬼田平子(コオニタビラコ)といいキク科の植物です。菘とはみなさんもよく知っている蕪(カブ)で、アブラナ科の植物です。蘿蔔は、こちらもよく食べているダイコンでアブラナ科の植物です。

この七種の七草を入れ、その一年間病気をしないようにと食べるみたいです。あとは、お正月に食べすぎた胃腸や不足したビタミンを補ってくれるみたいです。今年は過ぎてしまいましたがみなさんはたべましたか。体にはいいものなので機会があればみなさんも食べてみてください。

青年会リレーエッセイ 「イヌ好き」「ネコ好き」  K.K

私達の身近な動物の中に、イヌ、ネコがいます。また、『イヌ派』『ネコ派』という言葉をよく耳にする事があると思います。

我が家では柴犬を飼っていましたが、2年ほど前に病気で亡くなりました。それ以前にも何匹かのイヌを飼っていましたので、私は『イヌ派』なのです。ファイル 392-1.jpg去年の6月某日、我が家の軒先から小さな動物の鳴き声が・・・・・。見るとそこには片手に乗ってしまう程の小さなネコが1匹。野良猫の子供だから母親が迎えに来るだろう、とそのままにしておく事にしました。1日たち2日たち・・・母親は現れず・・・。いつしかその子ネコは段ボール箱の中でスヤスヤと・・・。

緊急家族会議が開かれ、様々な意見が飛び交いました。気付くと我が家には、子ネコ用ミルク缶が用意され、獣医さんのドクターチェックを受ける事となり、5月生まれであろう彼女(言い忘れましたが、メスなのです)は、『メイ』と名付けられました。

ネコを飼うのは初めてなので少しお勉強と思い、女房と2人でネットを見たり、本屋さんで調べたり(本屋さん買わないでごめんなさい)。すると、女房が『ネコの性格診断』なるものを発見し、1つ1つチェックしていきました。結果は『我がままなお嬢様タイプ』との診断結果が・・・。『まさか、ねっ!?』と2人で苦笑い。

成長した彼女は、おもちゃ箱からお気に入りのおもちゃを銜えてきては『さぁ、これで私を遊ばせてちょうだい!』という目で見つめてきます。スーパーのレジ袋を三角形に折りたたんだ物が大のお気に入りと大変安上がりなのですが、相手にしないでいると、目がキラッと輝き、前足がスーッと壁に掛り、爪とぎ体制に。慌ててしばしのお遊びタイム。

お客さんが来るとシャナリシャナリとどこからともなく姿を現し『あらぁ、いらっしゃい、どなたぁ?』と自己アピール。相手が興味を示すと更に1段上のアピールを始めます。『ネコを被る』とはよく言ったもので、あの性格診断満更でもないな、と思えてきます。
 
彼女が来た当初、不思議と割引券やら景品やら当たる機会が多く、もしや『招き猫!?』と思い、せっせと宝くじを購入。結果は・・・・・・・、ただの思いすごし、でした。
 
『イヌ派』の私ですが、この頃、帰宅して彼女の姿がないと『あれっ?どこにいるの?』が口癖になっているようです。
 
ところで、皆さんは『イヌ派』ですか? それとも『ネコ派』ですか?

神のご計画    茨城YMCA総主事 宮田康男

茨城YMCAの今日あるのは、水海道教会の皆様のお支えに他なりません。本当に感謝です。茨城YMCAの創立に至った経緯には、はじめにTCACの創設に当時の丹羽牧師の働きかけと、増田一さん、鈴木邦彦さん、高杉迪忠さんらの決断、並びに非常に多くの教会員の方々のサポートがありました。現在も、茨城YMCAの約70名のクリスチャン会員中、水海道教会は第一位です。
 
丹羽牧師の東京YMCAとの結びつきにより、二葉幼稚園やCS野尻キャンプに体育講師の派遣が行われてきた歴史の中、K.W君もその一人でした。

その後、YMCAの活動に深いご理解のある、加藤久幸先生が水海道教会牧師として赴任され、TCAC(つくばクリスチャンセンター)の委員長となられ、その現実を直視されました。

TCAC施設の利用制限も大幅に緩和して頂き、茨城YMCAの活動は飛躍的に改善され、地域社会の必要とする課題、子育て支援、児童保育、障がい児支援等に、より多く応えられるようになりました。

10年ほど前、折しも東京YMCAが経営再建問題で混乱している折、K.W君は東京YMCAを離れ、茨城YMCAの最初の職員となる決意をしました。それまでは、主事は東京YMCAからの出向でした。それから後、何としても自立しなければとの一心から、K.W君と私は茨城YMCAの自立に向けて、必死に毎日の業務を進めてきました。この任務を共に担ってくれた同志です。

K.W君は、全国各地のYMCAの幹部候補生と共に、日本YMCA同盟研究所の3ヶ月に及ぶ主事研修を修了し、日本のYMCAの将来を担うことを決断しました。

今後、この決断によって、孤独で苦しい戦いも、時には体験することでしょう。そして、その使命を担うには、主イエスの弟子になること抜きには、困難であると認め、自らの役割の自覚に立って、受洗に至ったことでしょう。

加藤先生を通して受洗し、水海道教会員となった、「茨城YMCAのK.W君」。やっと自立し、歩みはじめた茨城YMCA。来年は創立20周年です。

教会から、背中を押され、世の中の必要とされているところに出向いて行こうとするK.W主事の勇気の源となる教会。この不思議なご縁。これを神様のご計画と信じ、主のみ心に沿って、茨城YMCAの働きを進めていけることを願っています。皆様からのさらなるご支援・ご協力をよろしくお願いします。


△ページトップへ

タグホイヤースーパーコピー モンクレール ダウン コピー
カナダグース スーパーコピー ベルルッティ財布 コピー
シュプリーム スーパーコピー OFF-White スニーカー コピー
ヴェトモン コピー ハリーウィンストンスーパーコピー