http://mitsukaidou.com
日本キリスト教団 水海道教会 サイトマップページへ プライバシーポリシーページへ
トップ 教会の紹介 牧師の挨拶 教会学校 キャンプ リ ン ク メール
教会からのお知らせ
最近のトピックス
教会学校ニュース
グループのニュース
牧師の部屋
副牧師の日誌
教会員のエッセイ
キャンプニュース
地区教区ニュース
今週のお花

記事一覧

命を与えられる幸い

ファイル 639-1.jpg3月8日(日)、その日は朝から体調がすぐれず、主日礼拝の説教も座ったままで行わせていただきました。私の様子を心配して、教会員は「今日は休んだ方がよい」という声をかけてくれました。それを遮って、私は午後の茨城地区総会に出かけました。

会場のつくばクリスチャンセンターに着くと、様子を見た同労の牧師や信徒たちが、今までの経過を確認の後、有無を言わせず、119番通報をしてくれました。そこで、救急車に乗せられ、筑波大学付属病院に搬入されました。処置室に運ばれ、入院となり、様々な検査を受けて、経過を見ることになりました。
 
後でいただいた診断書によると、「小脳梗塞」
「3月8日~3月24日まで当院にて入院加療を要した。退院後、約1カ月の自宅療養を要する見込みである」と書いてありました。

幸いなことに、最初に関わってくれた教会員や地区の関係者などの配慮により、大きな後遺症は残ることなく、現在に至っています。
 
この間、3月19日には外出が許され、学園の卒園式にも出席することができました。さすがに、対外的な用はその後控えていますが、教会と学園の仕事は何とか通常どおり?行っているものと想われます。

しかしながら、生活のリズムや内容も変わりましたし、疲れを覚えるのも事実です。自分なりに「異和感」を覚えるのは、①病気によるものか、②生活の変化によるものか、③薬によるものなのか、と考えたりします。今まで大病をしたこともなければ、入院もなければ、薬も飲んだことがなかった(風邪薬程度はあるが)ので、不思議な感じがしています。

今は、医師の指導により、5月連休明けに、今後の予防のため(心臓から脳に至る動脈に細い部位がある)ステントをいれる処置をする予定です。

奇しくも、私は今年の7月が来ると満60歳になります。今回のこともあり、教会役員会や学園理事会で私の今後の歩みについて触れることがありました。あまり大げさには考えていないのですが、「覚えられ」「お世話になる」ことを実感しながら、自由に生きたいが自由にならない我が身を想いながら、「命を与えられる」ことの意義を、改めて示されている幸いを日々感じています。

未来の園(庭)の姿          加藤 久幸

ファイル 623-2.jpg

$FILE1_c毎日新聞(朝刊)に、今、一人一話の「古くて新しいモノ、コト、ヒト」というコラムが連載されている。2月17日の第15話は、倉本聰さんだった。

「北海道富良野市に移り住み38年になります。多くの出会いがありましたが、アイヌの萓野茂先生(元参院議員、2006年死去)から学んだことは生きる原点になっています。

『アイヌはその年その年の自然の利子の一部で暮らしてきた。今の人間は自然という元本に手を付けている。経済観念の発達した日本人に、それがなぜ分からないのか』と言われ、がくぜんとしました。…80歳になりました。私の出生から80年さかのぼると江戸期になる。そう考えると、明治維新もそんな昔じゃない。かつての暮らしがどれほど苦しかったと言うのでしょう。」

私も、アイヌ、琉球、有機農業に生きる人々に出会い、触発を受けてきた。木を育てる人からは、100年単位、聖書の学者からは1000年単位の生き方を示されたように想う。

倉本さん流に言えば、私が生きてきた「60年」、これからの60年。60年後は2075年、その時には私はこの世界にいない。しかし、その時は遠い未来ではない。

倉本さんは、3月14日まで東日本大震災と福島第1原発事故をテーマにした劇「ノクターン-夜想曲を」を巡演中であり、「福島に寄り添い続けていきたい」と、コラムは結ばれている。

私が、初めて、二葉の園庭に足を踏みいれた時、大きなケヤキに迎え入れられる感慨を覚えた。今回の園舎工事計画、そして、今後の何十年間の子どもの安全を想う時、この愛おしい木をそのままにはしてはおけない、と考えた。原発事故によって海や山が受けた被害は、まったく人間の都合・エゴによるものである。全く同じではないが、ケヤキの伐採もワタシの都合・エゴによるものだ。

木を育てる友人から、何十年・何百年先の木の姿は今の一日一日の関わりにかかっている、そんな話を聞いた。未来の園(庭)の姿が、自然の利子、神の共生の恵みに生かされる世界であってほしいと願う。繋がっている未来のために、成すべく招かれる私の一日一日の責務を切に果たしたい。

今年の「干支(えと)」は未(ひつじ・羊)  加藤 久幸

ファイル 614-1.jpg

日本で「干支」というと、ね、うし、とら、う、たつ…の十二支(じゅうにし)が一般的ですが、古くは十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)の組み合わせで、60回で一周するのが本来の姿でした。「干支」は、数や時間、方位、事柄の順序を表し、占いにも用いられているとのこと。

今年の「干支(えと)」は未(ひつじ・羊)です。羊は、古くから、「干支」が生まれた中国から地中海に至る地域で生息・分布していたと、言われています。そして、聖書の中でも最も多く登場する動物が羊です。しかし、時代の流れとともに、羊についての聖書の記述は、かなりの変化が見られます。

古い時代には生活と密着する形で描かれるのですが、旧約聖書の預言書や新約聖書では、譬えの中で語られるようになります。
 
日本における羊と人間の付き合いの歴史は省略しますが、現代の私たちにも羊はあまり馴染みのない動物であろうかと思います。イエスは、「わたしは良い羊飼い」(ヨハネ10・11)と名乗り、譬えで「羊と羊飼い」について多く語っています。

私は、牧師になってから、「羊と羊飼い」の話を羊飼いの観点から聞いていたように思います。しかし、イエスこそが「真の羊飼い」と思いが募るようになり、譬えを「羊」の立場から聞くことが多くなったように思います。
羊は、「近眼」で道に迷いやすく、一頭(独り)では暮らせないのに群れると頑固であり、独りになると寂しがる。長所と言えば、耳がよいので、羊飼いの声を聞き分ける(ヨハネ10・16)。

また、羊は、(羊)毛・毛皮・乳・肉も、すべてが用いられるので、「有用」「財産」として見なされることもあります。

しかし、イエスは「自分の羊の名を呼んで連れ出す」「羊のために命を捨てる」(ヨハネ10・3、15)と語り、そのような関わりを示されました。

今年、私は、聖書のイエスの譬話を、今一度味わってみたいと考えています。みなさんもいかがでしょうか。それは、私が「未(羊)年」だからではなく、今、イエスの譬話がおもしろいからです。

今年の漢字 加藤 久幸

ファイル 605-1.jpg

今年の漢字は「税」。日本漢字能力検定協会は、12月12日、今年の世相を反映した漢字に「税」が選ばれたと発表した(全国公募で、今年は167,613票の応募数があり、「税」は8,679票であった)。

1位の「税」は、消費税率が5→8%に、そして、10%への税率引き上げの延期など、税金について考えさせられることが多かったからだろう。2位以下は、熱、嘘、災、雪、泣、噴、増、偽、妖‥と続く。なるほどと思うものもあれば、「こういうことが話題になっていたのか」と改めて感ずるものもある。

この企画は、1995年阪神・淡路大震災が起こった年に始まり、第1回目の漢字は「震」であった。1999年は「末」、2000年は「金」であり、2010年以降は、「暑」「絆」「金」「輪」と続く。ちなみに、20回の中で2度選ばれたのは「金」だけで、-理由はオリンピックだけではないと思われるが-開催年の2000年と2012年に選ばれている。

全体的にみて、その年に話題になったトピックスもあるが、自然現象や世の雰囲気が多く、しかも、あまり明るいものではないように思われる。

私は、例年、アドヴェント・クリスマスには、その年の出来事を振り返り、新しい年の歩みを想い、聖書を読み進めていく。すると、その年のクリスマスのテーマ・ことばのようなものが示され、導かれていく。しかし、今年は、単年度ではなく、もう少し長い期間において、たゆまず歩んでゆくことが、促されているように感じている。

今年の「税」には、異和感を感じる、ビミョー(微妙)などの反応が多数あるようである。確かに、「税」は現実かつ具体的なことを表す言葉であり、今までの中では異色である…。金(かね)・富を置くところに、私たちの心もある。私たちの 金・富・税をどこにどう置くのか? 
私たちの心をどこに向けようとしているのか? たかが「世相」されど「世相」である。今年の「税」が、その時の雰囲気から、何かに向かおうとする変動の「兆し」ならおもしろい。日本の地では「兆し」が表に出ることはないのかもしれない。たとえ出ることになるとしても相当な時間がかかるだろう。「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。」

葉っぱのフレディ-いのちの旅

晩秋になると、牧師の異動の動向、教会の動きなどが、風の便りとして伝わってくることがある。
 
昨年(2013年)の「墓地委員会通信」№7でも紹介した「葉っぱのフレディ-いのちの旅-」(童話屋)という絵本を、今回は引用・紹介したい。

この絵本は、葉っぱのフレディが、誕生から成長していく様子が語られます。自分たちのこと、まわりの世界、人間のこと、葉っぱの仕事、フレディはたくさんのことを学びます。物語は、大好きな友人である葉っぱのダニエルと語り合う形で、進んでいきます。そして、「いのちの旅」を共にしてきたダニエルが、死について語り、ゆっくり、静かに、いなくなりました。

そして、フレディはひとりになりました。
「次の朝は雪でした。初雪です。やわらかで真っ白で静かな雪は、じんと冷たく身にしみました。その日は一日中どんよりしたくもり空でした。日は早く暮れました。フレディは自分が色あせて枯れてきたように思いました。冷たい雪が重く感じられます。

明け方フレディは迎えに来た風にのって枝をはなれました。痛くもなく こわくもありませんでした。フレディは 空中にしばらく舞って それから地面におりていきました。

そのときはじめてフレディは 木の全体の姿を見ました。なんてがっしりした たくましい木なのでしょう。これならいつまでも生きつづけられるに違いありません。フレディはダニエルから聞いた“いのち”ということばを思い出しました。“いのち”というのは 永遠に生きているのだ ということでした。」

新たに、牧師(伝道牧会者)として立てられる者がいます。また、隠退しようとする者もいます。教団の規則では、隠退した牧師は「隠退教師」として位置づけられます。信徒籍に戻ることはなく、牧師になるということは一方通行の道であることを暗示しているかに、想われます。そして、その牧師であることの意味も、最後になって、初めてわかるのかもしれません…。

木は、土は、風は、空は、一つひとつの葉っぱの営みをどのように見て関わっているのでしょう。アドベント(「来る」に由来)が近づいています。

集会の報告と紹介   加藤 久幸

ファイル 587-1.jpg私が牧師になって、水海道教会は3つ目の教会です。2番目の三鷹教会は、関連事業がなかったので、平日に行われる集会がありました。最初の新庄教会もそして水海道教会も、関連の幼児事業があるため、平日の集会は行なってはおりません。その歩みを継承しつつも、私は希望する方々と共に聖書に触れたいという願いがあり、どの教会においても、聖書を読む会を行ってきました。

 水海道教会においては、2008年度から、月1回第1水曜日夜、聖書を読む会を始めました。そして、翌2009年度からは、毎週日曜日10時から15分以内の予定で、聖書輪読会を始めました。読む会は、自由に感想を分かち合い、共に祈ります。輪読会は、文字通り、共に読み聞く会で、聖書を1章ずつ触れることだけを願って、続けています。

初年度は、創世記(1~12章)を取りあげました。翌年度は、参加者の希望もありエレミヤ書を読み、その後は、詩編を取りあげました。詩編の後は、そのまま、普段あまり触れることのない、箴言・コヘレトの言葉・雅歌と、読み進めてきました。
 
振り返ってみれば、全てが旧約聖書でした。その理由は、主日礼拝の教会暦では新約聖書が取り上げられることが多いこと、また、私が旧約聖書が好きなことも影響しているかもしれません。ともかく、参加者の「あ・うん」の呼吸で選んできたとも言えるかもしれません。

今日(10月19日)で、雅歌を読み終えます。さて、その次は、どこを読みましょうか? このまま旧約聖書を続けて、預言書を読み進めるという案もあります。しかし、新しい参加者もおり、「初心」(?)に立ち帰って、福音書を読むというのも、一案です。また、参加者の中からは、ヨハネの黙示録を読んでみたいという意見も、聞こえてきています。いずれにしても、新約聖書を読んでみようというのが、今の流れかと想像しています。「閑話休題」の日をはさんで、新たに、聖書輪読会&聖書を読む会を始めていきましょう。

集会の報告&紹介になりましたが、新たな機会に、あなたも聖書輪読会に参加してみませんか。

新しい制度                加藤久幸

2015年度から、国の子ども・子育て支援新制度がスタートします。ざっくりした言い方をしますと、子育て世代を本気になって支援しようとして、国がこの制度を創った!? 文科省や厚労省でなく、内閣府がその推進役を担っていることからも、その「本気度」が伺えます。しかしながら、現状は、制度設計をしながらも、すでに実施段階に突入しており、当事者が走りながら準備をしています。

9月・10月は、新年度入園の募集時期であります。今回、学園では久しぶりの説明会を行いました。私は、年金制度に譬えて、お話をしました。

年金というベースの制度があり、私たちは国民年金・厚生年金、学園であれば私学共済という、いずれかを選んでいます。同様に、子育て支援というベースの制度が創られ、ご家庭は、各々の就労状況等に応じて、子どもの教育保育、委託する園を選ぶことができるようになりました。そして、ご家庭が負担する保育料は、ご家庭の所得(or税負担)に応じて決定されるという、共通の仕組になりました。

それ故、新制度に移行する、公立の幼稚園・保育所であれ、民間の幼稚園・保育園であれ、認定子ども園であれ、ご家庭がどの園を選んでも負担は同じあり、ご家庭の選択によって相応しい園を選ぶことができるという、画期的な構想を含んでいます。

ただ、現状は…。年金制度もそうであるかもしれませんが、各々がどういう就労状況か、どういう園(制度)を選ぶかで、なお格差は存在します…。誤解を恐れず言うと、老後の生活が等しく保障されるのが一つの方途であるように、子どもの教育保育も等しく(無償で)保障されることを、多くの方が望ましいと想われるのではないでしょうか。

では、その財源をどうするか? 新制度は、少子高齢社会の中で、出生率増加・労働力確保・税収増加という政策とも密接に繋がっています…。 

スコットランド独立の住民投票のニュースを聞いて(課題は様々あるでしょうが)自分たちの今後は自分たちが選ぶという民主主義の素晴らしさを感じます。私たちも、「こんなはずではなかった」ではなく、「産みの苦しみ」を経ながらも、自分たちが選び、自分たちの町・国づくりをしてきたと、振り返るような歩みをしたいものです。

自営業             加藤久幸牧師

ファイル 568-1.jpg牧師(園長)をしていると、その業種・業務内容について聞かれることがあります。宗教活動であることはみなさんも理解しているところなのですが、実際のところはどういう働き方・勤務形態になっているのか、疑問なのです。もっともだと思います。

私の場合、現実としては、業種は宗教(保育教育)事業、事業形態は自営業と、応えることが多いと思います。もちろん、私たちの場合も、宗教法人(学校法人)で、他の団体と比べても法人として運営するよう努めています。牧師(園長)も、団体役員として業務にあたっています。

しかし、私が経験してきた牧師(園長)の実際の働き方・勤務形態は、個人あるいは零細の自営業に近いと言えるでしょう。もちろん、そうではない規模・形態の方もおられますが、大多数が「小規模の自営業」と言ってよいでしょう。

業種を問わず、「小規模の自営業」の営みが、困難であることは疑いのないことです。そして、それは、今の時に限らず、いつの時代においてもそうであったと思います。旧約聖書の時代においても、グローバル化する社会の中で、いかに、「自営農民」の営みを守るかは、社会の大きな課題でした。

今年度から、私たちの園は認定子ども園になり、保育園は「お盆」の時期も保育をするようになりました。平たく言うと「お店」(事業)を開けたわけです。人が休む時に、休めないご家族・子どものために働く。働き方の変化から休み方も多様となりましたが(多くの人が休む中で)働かざるをえない人のために、サービスを提供する。結果、自らも働くことになりました…。

礼拝も「サービス」ですが、教育や保育、介護や医療、レストランやホテル、その他、人に仕える多くの仕事が、本来の意義や出発点を回復する必要に迫られていると想います。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28) 

各々に、自らの休みも味わいつつ、自らの働き方・生き様について受けとめる時が与えられますように。そして、新たな回復と出発が備えられますように、主の平和をお祈りいたします。

自分らしい一歩            加藤久幸

ファイル 558-1.jpg7月18日(金)幼稚園の1学期が終了。その日から、教会や学園のことで、息つく暇なく動いていて、体もどこか揺れている感じがいたします。

そんな日々の中で、時間があったら読もうと想っていた本を、かばんの中に入れておいた。休憩時間に読み始めたら、夢中になり、1時間で読み終えた。その本は、「子どもたちの四季」(主婦の友社)。お茶の水女子大学付属幼稚園副園長の宮里暁美さんが、日々の保育の中で伝えてきたことをまとめたものである。今回はその紹介である。

「お母さんとつながっているという安心感をもとにして、子どもたちは一歩を踏み出しますが、ほんのちょっとのことでくずれてしまうくらいにどの子の心も揺れている。子どもたちのはじめの一歩は一様ではありません。

[中略]どうしても気持ちが立て直せず泣き続けるわが子もそばで『私の方が泣きたい!』と叫びたくなったことがありました。私自身のことです。あの手、この手を尽くしてもダメ。まわりにいる親子はみんな、なごやかに朝の支度をして笑顔で別れているのに。ああもう、という気持ちになっていたその時、『うちの子もそうだった。懐かしいなあ』と声をかけられたことがありました。

先輩のお母さんのやさしい一言に涙がこぼれそうだったことを覚えています。大変だと思えるこの道は、みんなが通る道、通り過ぎたら懐かしくなるかもしれない道、今はとてもそうは思えないけれど……。そんなふうに思ったら、少し心が軽くなりました。」

この4月の文章の後、5月は次の小文で始まる。

自分らしい一歩
自分の足で立って 見まわす景色
ここはどんなところかなと じっと見て
聞こえてくる音に 耳をすまして
まわりのものに そっと触れてみる
「ここは こんなところ」と 少しずつわかって
「ここが 落ち着くな」と、思える場所が見つかって
 
自分らしい一歩を ゆっくり歩み出す子どもたち
 私たちの人生の日々も、教会や学園の日々も、同じことの繰り返しではなく、いつも新しい一歩を経験しているのではないでしょうか。学園も、私たちも大きな節目を過ぎ越そうとしている時、「自分らしい一歩」であることを願ってやまない。

急速な動き      加藤 久幸

ファイル 548-1.jpg今、日本の政治・経済・社会が大きく動こうとしている、動かそうとする力が働いていると、多くの人が実感しているのではないだろうか。

憲法改定論議や集団的自衛権の閣議決定の動向、消費税増税や法人税引き下げ方針、農協改革の自民案、混合診療の拡大案や訪問診療撤退の動き、「外国人技能実習制度」拡大や労働成果賃金新制度の導入案、改正電気事業法成立などなど。すでに決定したものもあるが、現在検討中ものも多い。

これらは、成長戦略を推し進めるために、矢継ぎ早に打たれる規制緩和・自由競争のための諸政策である…。その内容を問う以前に、気になることは、これらの諸政策は、私的諮問機関や政府の規制改革会議の提示、閣議の決定により、強力に実行に移されようとしていることである。

平和、暮らし・福祉、食、労働、医療、エネルギーなど、日本の地に住む人々の生命と生活に直結する事柄であるのに、「国民」的関心・議論になっていない状態となっている。情報が十分に開示されていないこともあるが、加速する動きに、人々はついていけない、考えたり話し合う暇(いとま)もないというのうが、正直な実感ではないだろうか。

教育の分野でも小・中学校の改革論議も起こっているが、幼児教育・保育でも、来年度から「子ども・子育て支援新制度」が施行されようとしている。象徴的なことを言えば、幼稚園の保育料も保護者の所得に応じて決定され、各々の園に公費が投入されるということである。

その他のことも含め、実際どのようになるかは、これからの県や市の説明や施策を待たなければならない。例年、新年度の準備は夏から始まっていくが、渦中にいながら、これからのことが予測できないというのが実情である。

こういう状況であるゆえに、諸政策の当事者からの視点・まなざしを大事にしたいと考える。

幼児教育・保育の分野でいえば、こどもにとって幸せな幼児の時代とは何か、「成長」ということはどういうことかを、今この時にこそ受けとめ直しつつ、こどもに関わる者として責任を果たす必要があると痛感している。人と争うわけではないが、こどもに仕える「夏の陣」が始まる!


△ペジトップへ

ヴェトモン コピ ハリウィンストンスパコピ