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「変化に生きる」               加藤久幸

ファイル 48-1.jpg今年の漢字は「変」。日本漢字能力検定協会は、12月12日、世相をもっとも反映した今年の漢字に「変」が選ばれたと発表した。

異常気象や金融危機、change(チェンジ)を呼びかけたオバマ大統領の当選など。次々と起こる受けとめがたい変なことに翻弄され、変化していかなければならないと思いつつも、いまだ自分・態勢が整わない・・。そういう私たちの心情・世相をよく表しているように思う。

「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」(マルコ1章3節) 2000年前、洗礼者ヨハネは、このイザヤの預言のとおり生き始めた。

非正規労働者の不当解雇、内定者の雇用取消など、法が遵守されず、個人の尊厳が脅かされる。人間としての尊厳が守られないところでは、心身ともに病いに冒されることも多い。

「荒れ野」は、自然的・物理的な状態だけでなく、社会的・人間的な「荒れ野」も意味している。21世紀は「希望の世紀」とも期待されたが、自然界に砂漠化が進み、人間界にも「荒れ野」が広がる様相を示してきた。

「荒れ野」に響く生きとし生けるものの「叫び」に耳を傾ける。そして、繰り返し過ちを犯す人間をただす「叫び」に耳を傾ける。「何もできない」「態勢が整わない」と言う前に、「聞く」「受けとめる」ことはしているのかと、私たちは振り返ってみよう。

実は「変化」は聞くことから始まる、聖書の出来事はどうやらそういう趣旨のことを伝えている。

ヨハネが捕らえられた後、イエスは「荒れ野」で生き始めた。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1章15節) イエスは、すでに「変化」は起こっていると、告げている。

「荒れ野」に呼ばわるヨハネ、イエスの声に聞き、主の道を整える「変化」に生きる者でありたいと願うものです。

2008年茨城地区社会部研修会        牧師 加藤久幸

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11月3日(月・祝)、茨城地区社会部研修会が、つくばキリスト教会館で行われた。7教会、大人16名乳幼児3名が参加した。講師の橘秀紀牧師(前教区社会委員長)は、主にある平和を祈り求める群馬地区と沖縄の出会いと交わりについてお話くださった。

1991年関東教区教師部は「沖縄現地研修」を実施、翌1992年教区総会は「沖縄現地研修に関する件」を決議し、以後1997年まで5回研修が実施された。この旅には、教区内の教師だけでなく信徒の方々も参加した。 

これ以降、沖縄にある基地をめぐる事件や事故、基地再編の動きはめまぐるしく動き、教会(教団)の事情も1996年「名称変更決議」が継続審議になり、2000年「合同」関連議案はすべて審議未了廃案とされた。

群馬地区は、最初の出会いから現在に至るまで、学びと交わりを誠実に継続し、教区の決議や交流に主体的に取り組んできた。今回その様子を伺うことができ、感謝であった。 

2004年春に辺野古ボーリング調査が強行され、8月に沖縄国際大にヘリ墜落事件が起こる。群馬地区は委員派遣を決定したが、実施できなかった。その年、7月見附の水害が起こり、10月に新潟中越地震が起こる。群馬地区は、これらの被災に対して、直ちに取り組んだ地区として知られている。

橘さんは「沖縄の経験が生きた」という言い方をされたと思うが、沖縄の人々の出会いと交流が被災で苦しむ現地へと向かわしめたのだと想う。「南」へ向かう予定であったにもかかわらず、「北」へ足取りをとった方々の胸中を思わずにはおれない。

橘さんは、結びで、〔神と人は〕「泣く者と泣く」「一人一人と神(イエス)は出会われる」と語り、現在保育園長として日々感じておられることも述べられた。「主にある平和の実現を祈り求める人々を通してみるこれからの私たちの歩み」を深く心に刻む研修であった。

新しい夢を                牧師 加藤 久幸

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3年前、私が水海道教会に赴任してきた時、会堂の屋根の葺き替えと空調設備(冷暖房)の更新が話題になっていました。私は、その時々に、ここもあそこもと修理をするよりも、110周年を機会に成すべき施設整備を検討いたしましょうと、答えました。

昨年度(2007年度)、時を得て、思いがけず隣地と教会境内地の土地交換が行われました。このことが成って、それまでは考えもつかなった幼稚園の正門を教会駐車場に移したいという希望が表明されるようになりました。

そして、今年度(2008年度)、創立110周年を来年に控え、いよいよ今後の施設整備について考える時を迎えました。上記の正門の移動(案)は6月1日の学園理事会と教会役員会で承認され、今後の基本設計を圓(まどか)設計事務所に依頼することを後に決定しました。

圓設計事務所は、懇切丁寧な仕事をしてくださり、私たち教会と学園には「解決すべき課題」があることを指摘してくれました。

教会の教育館(現在学園の保育室として使用)は、1976年会堂と共に新築、1987年に増改築の上で90度回転させて現在の姿になりました。ところが、増改築の時の手続き上の不備があり、現段階では教育館は違法性をぬぐえない建物であることがわかりました。

10月12日教会協議会を開催し、教会は、教育館を取り壊し、学園が新しく園舎を建てる道を備えることを話し合いました。

それは、次世代のために、今私たちが成すべきことをしようという、大きな「決断」でありました。先達や皆さま方の祈りと献げ物によって建てられた教育館を失うことは大きな痛みです。

しかし、この「決断」は、教会と学園が今後の施設整備を進める上で踏み越えなければならなかった「礎石」であったのでないかと思います。この「決断」「礎石」の上に、私たちは教会と学園の新しい「夢」を描くのです。

その時                   牧師 加藤久幸

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私の好きな讃美歌に「球根の中には」(讃美歌21 575番)がある。その2節はこう歌っている。
 
  「沈黙はやがて 歌に変えられ
  深い闇の中 夜明け近づく。
  過ぎ去った時が 未来を拓く。
  その日、その時を ただ神が知る。」

水海道教会学園は、2009年春に「育ちサポートセンター」を開設することを決定した。「一人を迎える」ことの大切さを思い、検討と準備を重ねた。そして、1歳児と2歳児保育の広報(案内)開始の9月1日は瞬く間に迫った。

9月5日~11日開催の「森本二太郎写真展」の準備も始まっていた。闇の中の閃光のように、私の中に1枚の写真が浮かび上がった。

「春の芽ばえ」(オオミスミソウ)。 森本さんの承諾を得て、この写真と添えられていた詩が「育ちサポートセンター」の案内の巻頭を飾った。

当初から予定していたわけではない。同じように、不思議な偶然が重なって、「水海道教会20周年記念野尻キャンプ」が、9月13日~15日行われた。開催そのものも危ぶまれたが、幼児から高齢者まで23名が参加した。予想だにしなかった恵みと祝福に出会う旅となった。

2009年水海道教会は創立110周年という「その時」を迎える。紹介した「育ちサポートセンター設立」も「20周年記念野尻キャンプ」も、「その時」を意識し関連して企画されてきた。

私たちは、今「その時」の全貌を知ることはできず、「夜明け近づく」時を歩んでいるに過ぎない。

最後に森本さんの言葉を引用する。

「樹は どんなに齢を重ねても  春ごとに 新しい生命を芽吹かせ、新しい 枝をのばす。人がもし樹よりもすぐれているなら、それは、日ごとに内なるいのちが 新しくされる可能性ゆえである。」(「光のささやき」いのちのことば社。上記写真も)。教会もまた然りである。

風にのせて

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8月3日(日)に、教会のホームページを開設する準備を進めています。

「教会ってどんなところ?」「誰でも、行っていいのですか?」こんな質問を受けたら、みなさんはどういうふうに応えるでしょうか。想定される質問を思い浮かべながら、広報委員が知恵を絞り作業を進めています。準備は大変ですが、作りあげる楽しみがあります。

7月の教会役員会で、「利用する対象は誰ですか?」と、質問がありました。「広く誰でも」と応えたいところですが、広報委員会は「教会に関わりある方」を先ず想定しています。

幼稚園の保護者の方、教会関係者のお子様方で独立して遠方で生活されている方、近隣にお住まいで事情があり暫く教会に来れないでいる方、教会に関心はもっているが参加できないでいる方、など。そういう方々に、水海道教会の「現在(いま)」を知っていただきたいと願い、開設の運びとなりました。

教会に連なる私たちが、特別なことをしているわではありません。日々の歩みに停滞や挫折があり、失敗や労苦があります。それにもかかわらず、いえ、そうであるからこそ、互いに覚え(祈り)、励まし、支え合いながら、歩んでいきたいと願っています。

教会のホームページができたら、何かが変わるでしょうか? 基本的なことは変わらず、礼拝を捧げる、病床の友を訪問する、教会は目に見える交わり(目的)を大事にします。ただ、ホームページというツール(道具)により、教会(=交わり)の「空気」や「香り」が伝え放たれ、また、この地に住む「まだ見ぬ人」の「風の便り」が運ばれる、出会いや発見があるかも知れません。

イエスは、「二人または三人がわたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18・20)、「風は思いのままに吹く」(ヨハネ3・8)と言われました。さて、その展開は?

(教会広報紙「交わり」7月号より)

喜びを共にする教会     牧師:加藤久幸

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かつて多くの人は、教会は勉強をしなければならないところだと考えてきた‥。姿勢を正してきちんとしなければならないところだと考えてきた‥。しかし代務の牧師をしてくださった飯塚牧師は「楽しく」と連発した。私は、飯塚牧師のようにギターの弾き語りはできないが、教会のベースは「喜び」にあると思い、深い連帯と繋がりを感じながら、呼びかけ語り取り組んできた。

最近、誰云うとなく、こういう声を聞く。教会に足を向けることが私の楽しみであり、教会に集まることが私の喜びである。私は、主の集まりは、教える会→教会ではなく、神と人が共にある会・喜びを共にする会→共会であると、考えている。

しかし、今この時も、嵐の中を漂う小舟のような人生の日々や局面を生きている方もおられるだろう。最近、こういう文章を読んだ。

「キャリア(仕事・人生)というのは、ある時は流れに乗っていくことがとても重要です。最中には『対応している』感覚すらないのですが、いつしか『対応している自分』を感じられるようになります。それは、流れに乗り始めた時なので、この時は流れに任せる感覚が大事なように思います。しかし、どこまで流されるとかわからないと不安になります。」 

そこで重要な働きをするのが、個人の拠り所となる価値観です。米国の心理学者は、この価値観を、船の錨に例えて、「キャリア・アンカー(錨)」と呼びました。

「錨」は、港に静かに停泊する船の位置を保っている。また、嵐の海の波間に翻弄される小舟の「錨」は、難破することのないように、海の深いところで繋がり共に揺れながら、その舟の位置を保とうとしている。

今年度の歩みが、一人ひとりの拠り所となる価値観、信仰の喜びを、各々に確かにする日々でありたいと願います。(教会広報紙『交わり4月号』より)

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