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引っ越し            加藤輝勢子牧師

ファイル 854-1.jpg4月29日に無事、アパートから牧師館に引っ越ししました。
30日にアパートを改めて掃除して、無事アパートの引き渡しをしました。今まで、牧師館からの引っ越しが常だったので、荷物だしをするだけで、精一杯でした。だから掃除等はその教会の方にまかせっきりでした。本当に教会の方に甘えていたのだと反省しました。牧師館は広く、大変快適です。3月に一通りの使い方は業者の方から聞いていたのですが、ボチボチ慣れていきます。
 
 5月1日 群馬県藤岡市の鬼石にサマーキャンプの下見に行きました。いくつかのグループと合同の下見でした。私たちは今年の夏は高学年のテント宿泊、野外炊事を中心としたキャンプを実施する予定なので、帰りは電車。夜、記念館で法人館長会に参加。さすがに少し疲れました。

 5月3日 私にとってのGWの始まりです。記念館の職員を水海道に招いてBBQをしました。こちらは水害の時のお礼を兼ねてでした。家族で参加した職員もいて、子どもと園庭で思い切り遊んでいました。参加者は「教会の方とお話が出来て、とても楽しかったですと、また…。」という喜びの声がありました。いろいろ差し入れありがとうございました。帰りの電車(常総線)の一両編成や20分に一本くらいの発車に驚いていました。

 5月5日 町田にいる母に会いに行きました。92歳になる母は高齢によるぎっくり腰になったらしく、ベッドで横になっていましたが、元気そうでした。母は自分では80歳くらいという認識しているようです。寝ている母の傍らで姉や義兄といろいろな話をしました。いつもと違う一時を持つことができました。

5月10日 夫の定期検診に付き合うために、筑波大学付属病院に行ってきました。結果は何も変わりはなく、次回は来年5月ということになりました。夜は聖書を読む会に参加。パウロの回心に想いを馳せました。また、共に祈る一時をもてたことに感謝です。

ホップ、ステップジャンプ 加藤輝勢子牧師

ファイル 844-1.jpg2017年度が始まりました。23日に教会総会も行われ、新たな歩みが始まりました。3月に新しい牧師館もでき、まもなく引っ越しの予定です。2015年9月にあった東北関東豪雨による水害被害は教会にとっても、私にとっても大きな出来事でした。自然災害の大きさでは比べられませんが、このことを経験したことにより、いろいろ考えさせられました。この機会にいろいろなものも処分しました。しかし、それ以上に多くの恵みをいただきました。人間が生きていくうえで、必要なものは限られているのかもしれません。前回も書きましたが、「危機ということを通してしか分からない恵みがある」ということを実感しました。
 
 さて、話は変わりますが、今年のゴールデンウィークは4月29日から5月7日まで、長く取れる人は9日間あるようです。かくいう私も3日から7日まで5日間のお休みをいただいています。このようにまとまって取れることは珍しいのですが、最初の日の3日に本所賀川記念館の仲間たちを教会に招待しています。理由は水害被害の時にいち早くボランティアに来ていただいたり、義捐金をいただいたりしました。そしてボランティアをしながら、法人ミッションの理解につながるとして自分たちの課題にしてくれたこと。何よりもあの時も今も共にがんばっている皆と一緒に楽しく食べて、飲んで語り合いたいと願ったからです。そしてそのイメージは水海道教会のイースターの会食会にありました。「水海道教会ではこんな感じでイースターのお祝いをしているんだよ」と職員たちに味わってほしいと思いました。その日も開館している施設があったり、貴重な連休で実家に帰ったりと、今の時点でまだ何人参加するかはわかりませんが…。よろしかったら教会の皆様も顔を出してみてください。
 新緑の5月を迎えて、外を散歩したり、日向ぼっこには最適な季節になっていました。日常の忙しさから解放されてリフレッシュできる時としたいと思っています。そして、ホップ、ステップジャンプです?????

アパート住まい         加藤輝勢子牧師

まもなく牧師館の引き渡しになると聞いています。8月下旬から今のアパートで暮らして半年以上が過ぎました。朝早くから出かけて夜遅くに返ってくる私にとって、アパートの住み心地がどうこう言う感じではありません。でも、せっかくですから、今までの生活の違いを見直してみようかなと思います。
 
まず、水海道駅より北側なため、同じ線路沿いの住まいだけれども、電車の音が少ない、静かに感じます。通勤をしている者として、アパートから駅までは牧師館からと同じ距離くらいだろうけれど改札に近い分、駅の敷地に入ってからの時間が短いと感じます。お店は近くにないけれど、スーパーが近くなりました。
 
アパートは一階で、私のお休み以外の時はシャッターが下りています。シャッターは光を遮断します。夜が明けても、明るくなりません。これにはびっくりしました。いつ朝なのか分からない感じです。夕方も薄暗くなると電気をつけ、その時点でシャッターを閉めます。そういえば、私は牧師館の時は雨戸をあまり閉めませんでした。カーテンをしめて、朝日と共に明るくなったのを確認し起きていました。夜はカーテンのみだったように思います。牧師館の周りに間近に隣接する家がなく、周りを気にすることなく、のびのびとしていたのだと思います。アパートに住んで休みの日は朝、目が覚めるとすぐにシャッターを開けます。そうすると自然に体が目覚める感じです。
水海道のそう遠くない所に住んでいるのに教会とアパートの水の味が違うように感じます。

3月・4月は別れと出会いの時です。水害を受けて、いろいろな経験をさせていただきましたが、アパート住まいも先が見えるようになりました。引っ越しのことを考えると少し気が滅入りますが、全国の募金で建てられた牧師館に住むことの意味を感じます。先週の礼拝で「危機ということを通してしか分からない恵がある」ということを聴きました。欠けの多いこの土の器ですが、神様の御用のために用いられることを祈ります。

賀川豊彦の吉野川

ファイル 829-1.jpg一年目の職員と共に、創始者賀川豊彦の志を理解するため、研修として読書会をしています。賀川を理解するためには時代背景の理解をも必要と感じ、「死線を越えて」という映画鑑賞から始まります。十分ではないが少しは参考になればと思っています。

賀川の生い立ちは、愛人の子として生まれ、早くに両親を相次いで亡くし、4歳から本妻の家で育ちます。病弱な継母からは顔を合わせると、母の悪口を言われ、祖母からは賀川家の当主となるべく、厳しく育てられます。

また、近所の子どもたちからも地主の孫という身分でありながら、愛人の子と揶揄され、近くの吉野川で魚を釣ったり、カニを取ったり、一人で遊んだことが心の慰めであったと書かれていました。そして吉野川の自然に触れて、育ったことは賀川にとって、慰めであると共に、自然に興味を持つだけでなく、賀川の思想の大きな役割を示していきます。

とはいえ、小学校に入るか、入らないかの子どもが両親を亡くし、寂しい想いを抱えながら、生きていく、友だちもいなく、河原が遊び場ということを想像すると、胸がしめつけられます。

昨今、子どもの虐待件数が年々増加しています。最近は高齢者への虐待も話題になってきていますので心を痛めています。子どもの養育をしないネグレクト、ご飯をつくってもらえない、給食で食事を賄い、いつも同じ服を着ている等々。また身体的虐待のこともよく聞きます。

母親と共に父から暴力を受けたり、母がいないときをねらって父からたたかれるなどという話を聞くと、大変やりきれない思いがします。そして、そのことが最近のことではなく、前からだと聞かされると、全然気がつかなかったことを反省します。

児童館は、その子どもにとって、気の休まる所になっていたのかな、自分が自分らしくいられる場所(居場所)であったのかな、などと思います。子どもたちにとっての「吉野川」になっていてくれればと願うものです。

「居場所」という点では、教会が、自分が自分のままでいられて、主イエス・キリストに向き合う所、「吉野川」になっていればと願うものです。

敬愛する鵜澤米子先生が天に召されました    加藤輝勢子

ファイル 818-1.jpg2017年、この地方は穏やかな天候で幕開けをしました。今年一年がこのように穏やかに過ごせることを祈りました。そして、大寒を迎えた今、寒さを肌に感じておりますが、大げさですが、地球もしっかり生きていると実感をしています。

昨年の12月24日のイブの日に、私の敬愛する鵜澤米子先生が天に召されました。本所賀川記念館の副理事長です。享年87歳でした。第二次世界大戦の時に、学徒動員、空襲、疎開等を経験し、賀川豊彦と出会い、光の園保育学校、本所賀川記念館と60年間以上、毎日記念館に通い続けたことになります。
水海道教会の婦人会で本所賀川記念館をお尋ねした時もお話やお世話をしてくださいました。

鵜澤先生は常に子どものことを第一に考えていました。そして職員のこと、記念館のことをいつも考えていました。そして人を良く褒めることが上手な方でした。行政との交渉などは長年保育園長をされていたからか、背伸びをしないで、ありのまま姿、弱さを武器にしながら、でもこちらの要望をしっかり伝え、物ごとを成していく姿は、相手と闘うというよりは、味方にしていくやり方が上手な方でした。私は側で学ばせていただいたにも関わらず、どれだけ身についているかは大変疑問です。

年を重ねても、自分のできることをしたいと言われ、私が常務理事になった後は、副理事長として記念館本部のボランティアグループのお世話や、若い職員に記念館の理念や賀川豊彦のお話をよくしてくださいました。東駒形教会でのパイプオルガンでの奏楽をしたり、説教はいつもメモを取りながら聞いていました。記念館の研修にもよく顔を出されていました。また、入院されているご主人の所に毎日顔を見せに行かれていました。

私が87歳の時にどのような歩みが出来ているのか想像できませんが、願わくば鵜澤先生のように、イエス・キリストを仰ぎ、子どものことや教会員と共に、一日一日を精一杯生きることをしたいと思います。

私ってそんなにがむしゃらだったかしら? 加藤輝勢子

ファイル 799-1.jpg11月初め、秋晴れの下、オータムキャンプに行ってきたのに、後半に雪を見るとは、今年の天候はいつもと少し違いますね。

オータムキャンプは柏市の「手賀の丘自然少年の家」に行ってきました。一日目は隣接の手賀の丘公園でアスレチックをして、子どもたちは存分に体を動かしていました。道を歩いていると、頭に何か落ちてきました。思わず、「いたッ!」周りを見ても、誰もいなく、キョロキョロしていると、ベンチに座っていた親子が「どんぐりがおち てきたのよ」と教えてくれました。それを聞いて耳を澄ますとコトコトとどんぐりが落ちてきていました。秋を感じてうれしくなりました。

子どもたちの元気な声に誘われて、私もアスレチック上級にチャレンジ、頂上まで登って鐘を鳴らしたのは気持ちよかったのですが、降りる時に後悔、ここでケガをしたら洒落にならない、年齢を考えるべきだったと…。子どもたちと野外炊事をして、プラネタリウムで秋の星空を楽しみました。

二日目、「ラート」というドイツ発祥のスポーツを体験しました。参加者みんな初めてです。
「ラート」とは2本の鉄の輪を平行につないだものを用いて、様々な体操をします。簡単に言うとハムスターが走る輪のようなものです。

その中に入って両手、両足をひろげて回転すると、宇宙遊泳のような感じとも言われています。子どもたちは最初こそ、緊張はしていましたが、すぐに慣れて、楽しんでいました。いっぱい体験できて、満足そうでした。

最後の10分間、大人も体験させていただきました。子どもたちがスイスイしていたので、簡単かと思いましたが、腕の力が必要で。左側に3回転して、右に回転して戻るだけなのにちょっと感じが違い、2回転で終了しました。

二日間は天候にも恵まれてリフレッシュできました。そして一つ気がついたことがあります。
「わたしはそう若くはないんだということと、ケガをしたら周りに迷惑をかけてしまうなということを。これからはやってみたいと思う気持ちとリスクを考えて行動しないといけないな」と思いました。

後日そのことを娘に話したら、「2回転で辞めたのは成長じゃないの」って。私の生き方はそんなにがむしゃらだったでしょうか?…。

副牧師の日誌             加藤輝勢子

ファイル 792-1.jpg気が付けば、2016年度も半期が過ぎました。毎日、日にちと時間を意識して生活しているのに振り返ると時の速さに驚かされます。何とか健康を支えられて、日々生かされていることに感謝しています。こんな歩みの中でもう少し(努力なしで)痩せてもとか思うのは…。
 
職場で「プラリバックス」(コーヒーアワー)を月1回不定期に1時間半から2時間ほど開催しています。目的は学童クラブのお迎え時に、保護者の方がコーヒーを飲んでちょっと一息ついてからお家に帰ってもらいたいという願いからです。お家に帰ると、夕食の支度からはじまり、宿題チェック、お風呂に入れて等々、息が付けないぐらい目まぐるしい時が始まると思うので、その前に一息と思ったのが始まりです。

1回に10人から20人くらいの参加になります。少しの時間ですが、こちらでの様子を伝えたり、お家での様子が伺えたり、世間話をしたり、保護者同士が話したりとわたしにとっては大切な時間です。「子どもにこんなことを聞かれたけど、どう応えるといいですか?」なんて質問を受け、お母さんと一緒に悩んだり、母の代わりに初めてお迎えに来たおばあちゃんがラッキーと言って参加してくれて、若いママたちに趣味の話をしてくれたり、

アメリカから帰ってきた乳幼児の保護者は「日本は子どもの施設が無料で使えることがすごい」と言っていて、アメリカでは子どもを一人で置いておくのは法律で罰せられ、子どもの遊べるところはすべて有料であるし、学校の送り迎えも大人が同行、保護者が行けない場合はシッターさんに頼まなければいけないと言われていました。

でも幼稚園入園事情になると、日本は普通(有名じゃないという意味だそうです)の私立でも朝3時には並ばなければいけないし、下の子どもは連れていけない、母親はみんな紺色を着て行くと言って、悩んでいました。

その脇で子どもがお菓子を食べていて、床に落とし、さっと拾って食べました。するとお母さんは「3秒ルール、大丈夫」と言っていました。そしてもう一言「日本はこんなにきれいなのにどうしてみんな神経質なのかしら」とたくましさを感じました。

色々な話を聴ける楽しい一時です。ちなみにコーヒーは無料です。

引っ越しもあった一カ月      加藤輝勢子牧師

ファイル 787-1.jpg8月22日に牧師館解体作業が始まりました。やはり、解体屋さんの方が荷物整理より早く始まりました。今は牧師館の跡形もなく、きれいになっています。

23日、娘と孫が台風の合間を縫って、福岡に戻りました。25日、夫の半年に一度の定期検診のためにMRI検査をしました。その結果は31日にわかりました。どこも変わっているところはないということなので安心しました。しかし、日々の歩みを見ていると疲れはたまっているだろうと思います。いつになったら、少しまとまった休みが取れるのか…? 

27日、28日は一泊二日で中高生館内宿泊に付き合いました。男女合わせて14名が参加。夕食は館庭でBBQ。薪が太く、久々に火おこしに苦戦しました。私は28日午後に採用試験があるので、3時間ほど就寝。しかし、子どもも他の職員も完徹。無理のきかない自分と周りの若さを実感!!

楽しかった夏休みもあっという間に終わり、9月に突入。3日、地域の祭りの子どもコーナーを担当。準備から後片付けまで1日仕事でした。

4日、教会役員会。5日常陸大宮で地区牧師会に参加。1年以上ぶりの参加だと思います。二宮めぐみ先生の伝道のあり方を伺ったり、おいしい食事をいただき元気になりました。

久幸牧師はそのまま仙台に向かい、私は下館教会副牧師の相原先生の車に乗せていただき水海道に帰りました。

1年経った水害のところや水海道教会、二葉こども園を見るために、下館で相原先生のお母様も同乗されました。1週間ほど時間が取れたので、長崎から相原先生に会いに来られたそうです。私も楽しい一時を持たせていただきました。

6日、職場の四半期監査がありました。毎日なんだかんだと忙しくしておりますが、欠けの多い私ですが、健康を支えられて、御用のために用いてくださる神様に感謝します。
 
さて、肝心のアパートの方はと言いますと、休みの日を 使いながら、少しずつ整えて行っております。「あれがない、これがない、どこにしまったか?いや捨ててしましったか?」等、動揺しながら、見つかった時の喜びは格別です。できるだけ早く整理をしたいと願っています。遅々とした歩みですが、今しばらくご理解ください。

副牧師の日誌 加藤輝勢子牧師  

ファイル 777-1.jpg 蒸し暑い8月の中旬を何とか健康を支えられて歩んでいます。 

牧師館の新築の話題が出て、解体の日程もほぼ決まり、日々の生活を送っていましたが忙しさにかまけて、中々手を付けることができませんでした。7月下旬の5日間休暇をいただくために、それまではあまり休みもなく、現実逃避をしているわけではなかったのですが、家の片づけはまったくと言っていいほどできませんでした。

5日間の休みで野尻キャンプ引率をしました。「家のことをしなさい」と言われそうですが、もしかしたら、今年が最後の野尻と言われれば、やはり、そちらのけじめも大切と思い、野尻に行きました。

でも今まで決心がつきませんでしたが、今年は泳力チェックにも挑戦しました。足のつかない深さで数メートル泳ぐことができればと思い、記念泳力チェックに挑戦。何とか平泳ぎで25mはたどり着きましたが、浮桟橋は高いハードルでした。しかし、みんなの声援を受けて心強かったです。

アパートも決まり、8月からは本格的に引っ越しモードと思いきや、サマーキャンプ引率や20日の花火大会のために、細切れの準備に取り掛かっています。

現牧師館から2LDKのアパートを比べること自体が違いますが、水海道で3軒目の牧師館に住んで、改めて思ったことは、牧師館はアパートよりは断然に広いということです。

今までは与えられた牧師館で住むことを当たり前としていましたが、自分の意志で住む場所を探し、持って行くものを決め、生活をするというのは、ことのほか、エネルギーがいることだと実感しました。

子どもたちも就職、結婚と家を離れて、夫婦二人になり、必要なものを見極めていくには、大変良い機会と思い、引っ越しに向き合っています。

今は時間との闘いかな?娘夫婦が来たり、息子たちも来ましたが、やはり、自分が動かなければ進まない。

引っ越し1つ取っても、それぞれの生き方の違いがあらわになる。夫や子どもたちからは計画なしの無鉄砲と言われ、それでもがむしゃらに動いています。

とりあえず、引っ越しが先か、解体が先に始まるか。今のところは解体が先に始まりそうである…。

どうなったかは九月号を。乞うご期待!

今年の夏は(も)がんばります      加藤輝勢子

6月24日日曜日、本所賀川記念館と雲柱社の研修で、東北教区被災者支援センター・エマオ専従者でいずみ愛泉教会副牧師の佐藤真史師をお招きして「つながること・よりそうこと―被災者支援を通してー」をテーマにお話しを伺いました。

研修は午前中の主日礼拝から始まりました。講演では東日本大震災のボランティア活動を通してのお話でした。「つながる」と言う関係は一方方向ではなく、双方向の関係であること。効率を求めるワークではなく、被災者に寄り添ったスローワークを大切にする。失敗からつながりを考えるなど、震災と言う特別の状況ではなく、私たちの日常に当てはまることを、具体的な話を伺いながら、イメージすることができました。

 
最後に佐藤先生は、関東東北豪雨による常総市の水害にも触れられました。水海道教会を中心にした茨城地区の牧師によるボランティアセンターの立ち上げが敏速に行われ、教会やこども園、地域の被災した方へのボランティア支援が出来ていたこと。教会、こども園を中心に保護者達もボランティアに協力していたこと。例えば断水の時に、井戸水を提供してくれる方、運んでくれる方、非常に連携が取れていたこと。茨城地区や水海道教会の方が、よくエマオへボランティアに来てくれたこと。そしてエマオにボランティアに来てくれたワーカーたちに水海道でも再び出会えたこと。ワークに行ったのにもかかわらず被災した方にかえって労われたこと。

これらのことは一方方向のことではなく、双方向の関係であり、一夕一朝のことではない。教会、こども園が今まで地元に繋がり歩んでいる証と言われました。

私は水海道の話をされると思っていなかったので少し緊張しましたが、確かにボランティアに来てくださった方で、エマオでお会いした方が何人かいらしてお話が出来、その後やりとりをさせていただいている方もいます。

水海道教会の復興の歩みはまだ続いております。いよいよ牧師館です。片付け、引っ越し等正念場を迎えます。今年の夏は(も)がんばります。


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