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召天者記念礼拝の日に 牧師 加藤久幸

今年の召天者(永眠者)記念礼拝は、本日8月13日に行われます。私自身は、「召天者記念礼拝」について、まとまった原稿を書いたことがないと思います。

記念礼拝の案内を兼ねた「墓地委員会通信」には、生と死に関するエッセー風の文章を、毎年書いてきました。それらは、絵本の感想であったり、随筆の場合は舌足らずでもあったと思います。

今回は、補う意味で、「交わり」にも、「召天者記念礼拝」について原稿を書かせていただきます。ただし、それは、聖書的な教えではなく、生と死に関しての、私の徒然なる思い(感じ方)です。

先ず、「召天者」という言葉について、です
▷「天」は神さまのいるところ、神さまの力が現れるところです。死んだら天国に行くと考えられがちですが、神さまに召される(招かれる)という感じでしょうか。そこで何をしているか? 神を礼拝している、神さまと交わっている。▷天(国)に行くというより、神さまが来てくださる。「み国を来たらせたまえ」とは、この地(上)に天(国)が実現することを、願っているのです。▷そう感じるようになったのは?

 一つは、この地(上)の「地獄」を感じたからではないでしょうか。このような状況では誰も生き延びることができない、そう感じるような「深み」を覗き見たのかもしれません。そして、「万が一『天国』があるなら実現を!」と、〔神を知らないまま〕願ったものでした。
それは、若い頃のネパール・インド体験と、無縁ではありません。渡航前「かの地では鳥葬があるよ」と脅かされた-実際見ることはなかったが-。しかしガンジス川の畔では「この魚は水葬された人を餌にしているかもしれないね」という話を聞きながら、日毎の糧をいただきました。大げさかもしれませんが、その旅は、地球規模での、自然の厳しさ・飢え・難民を垣間見させられる体験でもありました。
 人が招き寄せる(加担する)貧困・差別・紛争と相まって、人間が抗うことが困難と思える世界の厳しさ(「地獄」)を感じたのでしょう。その時に、私も「祈り(神を待ち望む)の原.風景」を見たのでしょう。

今年の「墓地委員会通信」は、真に、舌足らずでした。私たちには、誕生と死は、どうすることもできない現実です。しかし、私たちは、自らの命も死も世界も、自分(たち)に決定権があるかのような動きを拡散させています。もちろん、私も、自分の人生は自分で決めるし、自分の歩みを人のせいにも神のせいにもしたくないと考え、歩んでいます。
しかし、〔人が考えるような〕神も仏もないような世界、人間が招来した(加担した)厳しいこの地(上)に「主よ来てください」と願うのは、人間の傲慢・倒錯した姿なのでしょうか。

 上に記した若い頃の体験の後も、私は、数多くの人の死と生に関わってきました。その出会いを通して、脆く・弱く・危うい存在でありながら、いえ、そういう存在であるからの尊厳として、神を呼び求め命を讃美しながらの、生と死がありうるのだということを、学びました。
真に「ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み心の天になるごとく地にもなさせたまえ」です。


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