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「散らされる」 加藤久幸

前にも紹介したと思いますが、
私の好きな児童文学に、ル=グウィン作「帰還 ゲド戦記 最後の書」(岩波書店)があります。
 
青年期、このゲド戦記のシリーズ(1~3巻)に触れた時、青年・壮年の冒険(活躍)物語として興味深い印象をもちました。しかし、それ以上に、のめりこむことはありませんでした。それから約20年経って、この「最後の書」が出た時に、ある衝撃が走りました。それは、主人公のゲドのそれまでの人生の様相を変える姿が描かれていたからです。もちろん、その出会いの時には、私も青年ではなく、ある年齢に達していたことが関連していたかもしれません。

この「最後の書」の本の帯には、次のような一文があります。「平和と秩序を回復するため全力を出し切ったゲドは、故郷のゴント島に帰る。心身ともに衰えた初老のゲドに、思いがけない女性との再会が待っていた」
 
これはファンタジ-ですが、今改めて、今の私に響く内容があるように想います。

話は飛びますが、今回の水害被害と復興を経て、やはり、「ノアの洪水物語」が、私の心に迫ってきます。そして、詳細は省きますが、ノアの洪水の物語の後に、バベルの塔の物語が続いていることに、今まで気づかなかった意味があるように感じています。荒削りの印象でいうと、「洪水」の後も、人間は、他の存在を顧みず、自分の活躍・挑戦物語を繰り返し行うのか、と。
 
私が、今までバベルの物語を読む時には、初老など、弱い存在は視野には入っていなかったのです。実際、バベルの世界では、強者だけが生き残るのかもしれません。
 
「散らされる」ことは、私たちは否定的に考えますが、聖書ではそうは考えていないように想います。他の存在との出会いがあり、共生の関わりとなる平らな世界を示しているのかもしれません。「全地に散らす」とは「全地への祝福」を、意味しているように思います。
 
初老の「ゲド」が、人の世界に散らされていく。
それは過酷な現実だなと思っていましたが、それは祝福の出来事なのでしょう。時が与えられるなら、改めて「最後の書」を味読したいものです。


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