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教会関係者リレーエッセイ 第1回

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二葉幼稚園・・・私がいた時代         Y.N 

新園舎の建築が進み、仮園舎が取り壊されると、水の災害のことなども重なって、かつての幼稚園時代が、もう随分前の事のように懐かしく思い出されます。思いつくままにそれらの事を書いてみようと思います。

園庭のケヤキは『幼稚園の運動会が園庭では出来ない』と決まった時に、中央に大きくなる木をと願って植えたものでした。虫がつかず、手入れが簡単なものとケヤキになりました。30年くらい前になるでしょうか。木登りやブランコで子ども達を遊ばせた後は、枝葉を広げて木陰に人々を誘い、秋には落ち葉を降らせて子ども達を喜ばせました。木を植えてからは園庭の水はけが改善されました。そして二葉幼稚園の歌「みどりと風のこの園に~」の歌詞に、少し違和感を覚えながら歌っていたものが声を大きくして歌えるようにもなったのでした。

私が幼稚園に勤めるようになったのは、園が橋本町から天満町に移転して間もなくの1973年(昭和48年)でした。敷地は現在建築中の園舎の辺りまでで、正門を入って左手に園舎、右手に園庭、そこにスーパープレイジムがありました。園児は300名、保育室はホールも含めて5室でした。すぐに教会の教育館として2室が増築され、敷地も南に広がっていきました。

園庭整備が教会役員会で報告された折り、その金額の大きさに驚きました。陪席していた私は『それなら保育室が欲しい』と思わず言ってしまいました。が、その後すぐに『園庭整備と保育室3室を増築する』と知らされ、喜ぶよりも驚きました。1980年(昭和55年)にはホールの他保育室が9室になりました。

保育方針は『子どもの生きる力を大切に、教師はその助け手』ということで、当時の私には驚くようなものでした。『一人ひとりを大切に』と解っていても、現場でそれを実現するのはなかなか大変です。思うようにいかず自己嫌悪の日々でした。必要に応じて講師を呼んでは学ぶ機会が設けられました。

その頃『子どもの良い所を、その意味を理解して毎月レポート用紙1枚に書く』という課題があり、悲鳴を上げてしまいました。しかし『人は皆、善くなろうとしている』という視点は私にとって大きな意味のあるものになりました。

10年勤めると海外旅行のプレゼントがあり、同僚3人とアメリカ(ロスアンゼルス)に行き、幼児施設等を見学しました。見るもの、聞くもの、全てが刺激的で帰りたくなくなるような楽しい日々でした。『海外に行くと自分(日本)がよく見える』という経験をしました。

年度末には『ロング教師会』があり、1年間を振り返って園児全体のこと、環境整備や備品、教職員の待遇等について園長に要望する機会がありました。ここぞとばかりに言いたいことを並べて『おんぶにだっこだ』とたしなめられたことも度々でした。

水害の時、泥を被ったクリスマス衣装の洗濯を手伝いながら、これは保護者が本の挿絵を参考に縫って下さった物だと、若くして天に召された方が思い出されました。沢山の人たちに支えられて過ごした日々だったと、しみじみ流れた時間の長さを感じました。

子どもたちや保護者との出会い、働く仲間や教会の人たちとの交わり、信仰への導きなどいろいろな出来事が次から次へと浮かんできます。それらが大切な宝となって今に続き、私の人生を豊かなものにしてくれていると感謝の思いいっぱいです。


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