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心の「ゆとり」に思いを馳せ 加藤久幸

ファイル 691-1.jpg夏から秋、秋から冬、季節の移り変わりの時、自然の恵みの中にゆったり身を浸すことができれば、どんなに幸せだろうと想うことがある。 
そのような時間的・物理的な「ゆとり」と共に、もう一つの心の「ゆとり」に思いを馳せる。

ここ暫く、その場でというか、瞬時に判断せざるをえない事態が続いている。前にも書いたことがあるかも知れないが、車の運転する方はわかると想うが、車はハンドルをきってもすぐには曲がらないし、ブレーキを踏んでもすぐにはストップしない。人の操作にすぐに対応しない「遊び」「ゆとり」という間(ま)を、車は性能として持っている。間違いやすい人間の操作に車がすぐさま反応したら、頻繁に左右に揺れ動き、ガクガク運転となり、スムーズな走行にはならないだろう。

ここ暫くの即時判断・即時実行のために、私の動きとして、言わば、左右蛇行、ガクガクの言動が多いのでないかと、考えせられる場面が多々ある。まあ、化けの皮が剥がされるような状態か…。本人も、時間が無いとは云え、ここまで「せっかち」だったのかと、驚いている。たまったものではないのは、近くにいる人だろう。コミュニケーション、人間関係の、トラブルも案じられる…。 

そういう中で、心の「ゆとり」を考えさえられる。私は、「即時判断」「即時実行」が嫌いなわけではない。しかし、その時に、「ゆとり」「遊び」があれば、その判断・実行も異なってくるだろう、ということだ。

前にも語ったと想うが、瞬時の決断であったとしても、長い振り返りと見通し(歴史認識)、広い視野(世界認識)があるならば、情勢も変わってくるだろう。共に生きる人々との関係も異なってくるだろう。そういう意味で言えば、心の「ゆとり」は感情の問題ではないのだろう。

秋の深まりに親しむ時間的・物理的余裕、いろいろな意味で認識を深める「ゆとり」を、今は持ちたいと願っている。教会と学園の関係者、私たちを覚えてくださっている方々の上に、主イエスの祝福と導きが親しくありますように。 平安。


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