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「沈黙(Silence)」 

これから巨匠マーティン・スコッセシが監督した映画「沈黙」について述べる。原作は遠藤周作の同名の小説である。

私の読書の特徴は、何らかの学問の専門書を読むのが中心で、文学はほとんど読まない。その中で、遠藤周作は唯一私の好きな作家である。「侍」が一番好きな作品であり「沈黙」はのちに述べる遠藤周作の思想の端緒になる作品と考えていた。しかし、この文章を書くため、色々調べたのだが、「沈黙」は世界中で20ヶ国の言語に翻訳されているとのことだ。改めてこの作品の大きさと遠藤周作の作家としての素晴らしさを感じた。

マーティン・スコセッシは世界でもトップクラスの映画監督である。かなり古い映画であるが、「タクシードライバー」はフランスのカンヌ映画祭でパルムドール賞(最高賞)を受賞している。アカデミー賞は娯楽性という要素もあるが、カンヌ映画祭は文芸性が中心である。

「ティーパッド」という映画ではアカデミー監督賞を受賞している。スコセッシ監督の宗教(キリスト教)に対する考え方であるが、彼自身の言葉によれば、人生のかなりの部分を宗教への思いや習わしにとらわれてきており、信仰について考えることなどやめてしまおうと思うことも何度かあったが、そのたびに宗教的な物語や観念に戻ってしまうとのことである。

スコセッシ監督が「沈黙」を始めて読んだのは1988年で、これは自分が映画化しなければと思ったそうである。1991年に遠藤周作に映画化の許可をもらった。しかし法的トラブルもあり、制作は難航した。2016年の12月にアメリカで公開された。日本での公開とほぼ同時期である。

この文章が「交わり」にのるときにはイオンタウンでのロードショーは終了していると思う。しかし、「沈黙」を読んだことのない人もいると思うので、興味を持ってもらうために、ごく簡単にストーリーを紹介しておく。

時代は17世紀の江戸時代の初期、徳川幕府による激しい切支丹弾圧が行われている時代である。ローマ教会に、高名なクリストヴァン・フェレイラ教父が棄教したとの報告がもたらされた。ローマとポルトガルで若い司祭達が日本に渡航しようとした。教会当局は最初、これを許可しなかったが、様々な理由から許可を与えた。ポルトガルの司祭の1人セバスチャン・ロドリゴがこの物語の主人公である。渡航したロドリゴは隠れ切支丹達に歓迎された。しかし、臆病な信徒であるキチジローの裏切りで、役人たちにとらわれてしまう。巧みな井上筑後守の術策で棄教したフェレイラ教父にも会う。フェレイラと同じ状態に置かれて、ロドリゴはどういう決断をするのか。

様々な科学が発達した近現代において、聖書の研究も逐語霊感説のように聖書を無謬であるとするわけにはいかなくなった。様々な批判的研究が行われるようになった。しかし、そうなると、キリスト教の信仰はどうなるのか遠藤周作は悩んだ。

彼の悩みはイエスを「永遠の同伴者」ととらえることで解決した。いついかなる時も私達とともに人生の道を歩み、苦しみや嘆きを分かち合ってくれるのがイエスであるという思想である。最初の方で、遠藤周作の思想の端緒と書いたのはこの「永遠の同伴者」という思想の端緒という意味である。

私もその「永遠の同伴者」という思想に同意できる。それを間違いであるという人もいると思う。そしてそれでいいのだと思う。信仰というものは、人生を通じて、いつも同じ状態であるわけではなく、信仰者同士の対話や様々なものを通じて、発展していくものだからである。

教会関係者リレーエッセイ 第5回

更生保護ボランティア      K.O

更生保護のボランティアに携わるようになって10年が過ぎた。少年院の布団作りの奉仕や社会を明るくする運動の啓発事業としてティッシュを配ったり、中学校や高校で朝の挨拶運動に参加するといった活動だから…と誘われ、よく内容が分からないままに入会した。
 
活動していくうちに、この会は過ちに陥った人たちの更生を支援する全国規模のボランティア団体で、根底には『もう一度やり直そうとする人たちの立ち直りを助けること』や『犯罪や非行のない社会をつくること』などがあると分かって来た。
 
一口に更生を助けるといっても現実にはかなり難しいことだ。更生対象者の再犯率が高いのだ。それはなぜだろう?
 
情報が飛び交う現代社会の中で、更生対象者に対しむやみに警戒心や恐怖心を抱いたり、排除しよういうような風潮はないだろうか?社会に受け入れられず、行き場や居場所のない彼らがまた罪を犯してしまうということも考えられる。地域の中に更生保護の心を伝え、広めていくことは、安全安心なまちづくりに繋がっていくことだと思うのだが…
 
数年前の公民館まつりで私たちは、犯罪予防、非行防止、更生保護の心を広める目的で、法務省が作成した広報用のティッシュを配っていた。ティッシュには『おかえりなさい』というカードが入っていた。それは罪を犯した人が処分を受け罪を償って社会に帰って来たときに地域で「おかえりなさい」と温かく受け入れましょうというメッセージだった。

その活動をしていた私たちの目の前に一人の男性が前日に渡したティッシュを返しに現れた。「わたしは罪を犯した人におかえりなさいなんて言えない」と。突然のことで何と言葉を返したらよいのか分からずにいたのを覚えている。

身近で犯罪被害にあったことがあるのか?いやそうでなくても多くの人は『お帰りなさい』には違和感があるのだろう。

私の頭の中では、隣り人とは?寄りそうとは?ゆるすとは?…とたえずぐるぐる回っている。

イースターに思う

3月27日(日)イースター礼拝が捧げられました。礼拝後には愛餐会(青年会・婦人会奉仕)が行われ、主の復活の喜びを分かち合いました。

礼拝説教は加藤久幸牧師、説教題「わたしは主を見た」テキストはヨハネによる福音書20章1節~18節。日曜日の朝、イエスの墓に行ったマグダラのマリアが復活されたイエスに逢う場面です。初めはイエスとは分からなかったマリアがそれがイエスであると知り、墓を走り出て男の弟子たちに「わたしは主を見ました」と告げます。
 
「確かなもの」を求めて教会へ来たはずなのに復活の出来ごとには戸惑いました。再現不可能なことを真理として受け入れることは出来ないからです。抵抗と葛藤…。

今でも疑問が氷解したわけではないが、「証明出来うる真理ではないかもしれないが、それに出会った人々にとっては、自分の生き方に深く関わる真実だった」のだ、と思っています。

久幸牧師は説教で「嘘かもしれないと思うグレーゾーンの中でどこかで決断をして進む」と言われました。決断して歩む人生の中で真実に出会い「わたしも主を見ました」と言う時が来るでしょう、いいえ、その日は、日々訪れているに違いありません。

教会関係者リレーエッセイ 第4回

拍手に包まれて         Y.K

新園舎での実質的な生活、たった14日目の卒園式は感慨深い1時間でした。
 
保育証書を手にした園児が、園長先生と握手をして向き直ると、保護者席からあたたかい拍手が湧きました。一人目も、二人目も、31人全員が拍手に包まれて真新しい椅子に着席しました。式辞に対して、祝辞に対して、謝辞に、記念品授与に、記念品拝受に、一つひとつのプログラムに拍手がありました。

旧園舎のホールより幾分狭くなった空間は、舞台・園児席・保護者席の距離が縮まり、一緒の部屋にいる実感がありました。けれど、何より心を占めたのは、新園舎で行うこの式を深く記憶にとどめておきたいとの思いだったのではないでしょうか。
 
理事を代表してFさんが示唆に富んだ“やまびこ”のお話をプレゼントしてくださいました。「きらいだ」と言えば「きらいだ」と返ってき、「ごめんね」と言えば「ごめんね」と返ってくる。

友だち同士こんなことあるなと子どもたちは聞いたでしょうか。「ともだちになろうよー」新しいホールに響く声。「ともだちになろうよー」小さめの声で繰り返される言葉。(本当にやまびこのよう)友達同士はもちろん、兄弟姉妹でも、親子でも、夫婦でも、仕事仲間でも、すべての関係で心得ておきたいと思いを新たにしました。
 
謝辞をしてくださった保護者会会長は、未だ水害の避難生活をしていらっしゃる方です。そのご苦労の中にあっても、園の在りように、子どもの成長に心をくだいた言葉を下さいました。
 
式の最後は子どもたちの歌で締めくくられます。元気いっぱいの歌声に歌詞の意味を込める真剣なまなざしが、保護者の方々にしっかりと受け止められたことでしょう。
 
旧園舎・仮設・辺田保育所・新園舎とめまぐるしい1年ではありましたが、子どもたちは、その場その場にあって楽しさを見出していたと思います。多くの方々に支えられ、守られ、そして、子どもたちの力強さに励まされて過ごした1年でした。
***
橋本町時代から使い続けた演台は、毎年、「古くなったねー」と言われながらも活躍していました。けれど今年は水害の跡も痛々しく使用することができませんでした。代わりに礼拝堂から説教台を卒園式の練習からお借りしました。ホールの板張りの色合いとぴったりマッチして、さらにその十字架が「いつも見ていますよ」と語りかけて下さるように見えました。来年からもずーっとお借りしたいと話し合いました。

加藤牧師夫妻と会津へ        M.K

「第81回 会津農民福音学校」に参加

去る2月11日、加藤牧師夫妻と会津坂下(ばんげ)教会で開催された「第81回 会津農民福音学校」に参加しました。

農民福音学校とは、賀川豊彦が提唱した運動で、農村の青年たちに神の福音と新しい立体農業を共に教育しようとする運動でした。立体の農業とは、果樹園に同時に四季折々の野菜を植えて複数の農作物を収穫しようとするものです。

会津坂下教会は冬の陽射しのよく当たる こじんまりとしたチャペルでした。礼拝には10名そこそこということでしたが、この日は講師として北海道から来たカナダ人宣教師夫妻、会津の各教会から集まった仲間たちにわたしたち水海道の3人が加わり、総勢4、50名の人びとが集まりました。
                                 広い北海道にキリスト教教会は各地に散らばっています。しかし人口減少と若い後継ぎの青年層が減少し、礼拝がままならず、4~5人とか、なかには日曜礼拝に出席者0の教会もあるとのこと。そうした教会でも会堂新築が実現し、費用は周囲の教会で支えあい、礼拝はウイークデイーに実施しているとのことでした。三愛精神、つまり、神を愛し、人を愛し、土を愛する。信徒同志のつながりを大切に守りぬく、それがこの地の教会の課題であるとのことです。
 
講演はカナダの農民と教会活動についても紹介されました。
 
彼の地は、国土の広さも、歴史も、農民の考え方も日本とはかけはなれた国ですが、今問題となっているTPP問題がカナダの農民のあいだではあまり話題にはなっていないようでした。識者のなかには、食品は商品としてではなく、主権、あるいは独立権をもっているものとして扱われるべきものだという考えがあるとのことで、これには肯けるものがあります。農産物を国際商品化してはならないということです。

会津農民福音学校は高田教会の遠藤栄牧師が賀川豊彦の考えを実施するべく彼の地に提唱したものです。加藤先生はすでに過去にこの催しで講演をなさっております。先生から誘いを受けたときは、こんにちまだこの集まりが存続していることに驚きました。遠藤牧師の他界と共に消滅しているものと思っていました。わたしが高校生のころ、63、4年もむかしに出席していてなつかしさを覚え、喜んで参加しました。

今年は暖冬です。雪深い会津ですら道路には積雪がなく、民家の屋根も森も雪はありませんでした。老人に聞くと、80数年生きているが、旧正月のこの時期に雪おろしもなければ、スキーも出来ないのは経験のないことだとのことです。 生活には楽なことでも地球温暖化の影響だとすれば、恐ろしい前兆といえるでしょう。

会津は私の故郷。少年時代に育った町や教会へ行くと、むかしの仲間のいく人かが残っているとしても、ほとんどは見知らないひとばかり。母教会に行っても向うからもわたしを見て、この人はいったい誰?と いぶかしがられます。しかしこの日の集まりでは、わたしの名前を聞いたことがあるとか、父から聞いていたという方が幾人かいました。

故郷には3年ぶりで行きました。前日に行き、たち寄るべき姉や妹の家が4か所あり、うち3か所を急ぎ立ち寄ってきました。さすが故郷、それぞれの家でご馳走を作って待っていてくれました。ぜひもう一泊といわれ、我が家に問い合わせると、だめとのお達し。1泊で加藤ご夫妻の車で帰ってきました。

教会関係者リレーエッセイ 第3回      EK

日々の楽しみ

守谷市の自宅から常総市の職場までマイカー通勤をするようになってから10数年になります。毎日のように同じ道を通っているわけですが、それでも日々楽しみながら走ることが出来ています。
 
それは、四季折々の変化を見ることで、沢山の発見や感動があるからで、それは食べることと並んで日常の楽しみの一つです。
 
殊に、長い冬を終えて、寒そうだった落葉樹に目にも優しい若葉色が灯り始めるとワクワクしてきます。日を重ねる毎に鮮やかに林を染めていく様子は春の喜びを感じ、心が躍るようです。

春は菜の花、水仙、タンポポなどが目を楽しませてくれますが、気付くと黄色が多いですね。そのような些細な発見も嬉しいものです。
 
日没頃に帰宅となる季節には、何と言っても夕焼け空のグラデーション。その美しさにしばしば車を停め、あまりにも魅かれる時には、夕日方面を目がけて少し遠回りして写真を撮ったり…。
 
日の短い時期は、職場の建物から駐車場までの道すがら、月や星を眺めるのも大きな楽しみの一つです。満月も素晴らしいのですが、更に魅かれるのは三日月で、何故だかとても不思議な魅力を感じます。何度見ても感動させられる魅力があり嬉しくなるものです。
 
特別なものではないのにもう一つ興味深いもの…それは空と雲の表情です。毎日同じ形はない空を見上げるのはとても楽しみで、晴れた日はもちろん、どんよりとしたお天気であったとしても、なかなか面白いものです。
 
職場の駐車場は雑木林に隣接しており、毎年ちょっと面白いことがあるのですが(これは普通のことなのでしょうか)、梅雨明けしていない7月初めから中旬頃に、必ずヒグラシの鳴き声が始まります。子どもの頃のヒグラシのイメージは晩夏で、物悲しいものでした。しかし、毎年あの場所だけは梅雨明け前にカナカナカナなので、「ああ、今年も鳴きはじめた(笑)」と、梅雨の終わり間近の風物詩を楽しみます。
 
その他にも虹が見えた時などは間違いなくテンションが上がります。…とその他にもいろいろありますが、長くなりそうですのでこの辺で切り上げることとします。
 
これからも安全運転に気をつけつつ通勤時を楽しみ、自然に感謝して気持ちを豊かに過ごしていきたいと思います。

教会関係者リレーエッセイ 第2回

タオル礼賛       S.K

水海道教会への支援品のタオル。その残りを頂くことが出来ました。この場をお借りして、御礼と報告とをさせていただきたく思います。

まず、未使用のものは勤め先のキングスガーデン‐特別養護老人ホームへ寄付させていただきました。ちょうど、足りなくなってきて洗濯が間に合わなくなっていたので大変喜ばれました。

M.Kさん、いらっしゃいます。1月2日は、お正月レクリエーションに登場され、司会が「101歳のみつさんです」と紹介しましたらハッキリとしたお声で「大正3年、97歳です」とおっしゃいました。計算すれば、どちらが正しいかはお分かりと思いますが、もちろん、ご本人が主張されているのですから、その意見が尊重されてその場は収まりました。立派にボールを投げて得点をおさめていらっしゃいましたよ。
 
さて、使用済みの大量のタオルなのですが、つくば市にある、動物愛護団体CAPINに寄付させていただきました。茨城は知る人ぞ知る動物殺処分ワースト1の県です。その中で、犬猫の里親募集や野良猫の去勢避妊手術後片耳に目印のV字の切り込みを入れてリリースする「さくらねこ」の活動や啓蒙をしています。

うちにもここを介して森下町から家を失った被災犬、チョコちゃんが来ています。大きくて明るい犬で、毎日家族を笑わしてくれます。我が小林家もいわきからこちらへ来て家を買うまで2年半かかりました。チョコちゃんの家族もそのぐらいはかかるでしょう。家に帰れる日を一緒に待ちたいと思います。

また、常総市には野犬がいることをご存知ですか?一時は 80頭にまで増えたそうです。市や県は睡眠薬毒団子を食べさせて処分するつもりだったらしく、CAPINさんはそれを助ける活動もしており、ブログは大変興味深い内容です。人間の福祉も動物福祉も問題点は共通しているなと考えさせられます。是非ブログをご覧ください。   

ご協力ありがとうございました。

教会関係者リレーエッセイ 第1回

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二葉幼稚園・・・私がいた時代         Y.N 

新園舎の建築が進み、仮園舎が取り壊されると、水の災害のことなども重なって、かつての幼稚園時代が、もう随分前の事のように懐かしく思い出されます。思いつくままにそれらの事を書いてみようと思います。

園庭のケヤキは『幼稚園の運動会が園庭では出来ない』と決まった時に、中央に大きくなる木をと願って植えたものでした。虫がつかず、手入れが簡単なものとケヤキになりました。30年くらい前になるでしょうか。木登りやブランコで子ども達を遊ばせた後は、枝葉を広げて木陰に人々を誘い、秋には落ち葉を降らせて子ども達を喜ばせました。木を植えてからは園庭の水はけが改善されました。そして二葉幼稚園の歌「みどりと風のこの園に~」の歌詞に、少し違和感を覚えながら歌っていたものが声を大きくして歌えるようにもなったのでした。

私が幼稚園に勤めるようになったのは、園が橋本町から天満町に移転して間もなくの1973年(昭和48年)でした。敷地は現在建築中の園舎の辺りまでで、正門を入って左手に園舎、右手に園庭、そこにスーパープレイジムがありました。園児は300名、保育室はホールも含めて5室でした。すぐに教会の教育館として2室が増築され、敷地も南に広がっていきました。

園庭整備が教会役員会で報告された折り、その金額の大きさに驚きました。陪席していた私は『それなら保育室が欲しい』と思わず言ってしまいました。が、その後すぐに『園庭整備と保育室3室を増築する』と知らされ、喜ぶよりも驚きました。1980年(昭和55年)にはホールの他保育室が9室になりました。

保育方針は『子どもの生きる力を大切に、教師はその助け手』ということで、当時の私には驚くようなものでした。『一人ひとりを大切に』と解っていても、現場でそれを実現するのはなかなか大変です。思うようにいかず自己嫌悪の日々でした。必要に応じて講師を呼んでは学ぶ機会が設けられました。

その頃『子どもの良い所を、その意味を理解して毎月レポート用紙1枚に書く』という課題があり、悲鳴を上げてしまいました。しかし『人は皆、善くなろうとしている』という視点は私にとって大きな意味のあるものになりました。

10年勤めると海外旅行のプレゼントがあり、同僚3人とアメリカ(ロスアンゼルス)に行き、幼児施設等を見学しました。見るもの、聞くもの、全てが刺激的で帰りたくなくなるような楽しい日々でした。『海外に行くと自分(日本)がよく見える』という経験をしました。

年度末には『ロング教師会』があり、1年間を振り返って園児全体のこと、環境整備や備品、教職員の待遇等について園長に要望する機会がありました。ここぞとばかりに言いたいことを並べて『おんぶにだっこだ』とたしなめられたことも度々でした。

水害の時、泥を被ったクリスマス衣装の洗濯を手伝いながら、これは保護者が本の挿絵を参考に縫って下さった物だと、若くして天に召された方が思い出されました。沢山の人たちに支えられて過ごした日々だったと、しみじみ流れた時間の長さを感じました。

子どもたちや保護者との出会い、働く仲間や教会の人たちとの交わり、信仰への導きなどいろいろな出来事が次から次へと浮かんできます。それらが大切な宝となって今に続き、私の人生を豊かなものにしてくれていると感謝の思いいっぱいです。

婦人会リレーエッセイ 第13回

庭で・・・                 M.K
この地に住み始めて40年になります。
当時、周囲はみどりばかり。初めての夏。灯火に集まる虫の多いこと。蛾は10cmもありそうな派手な模様の翅を水平にひろげて綺麗というか不気味というか…
     
鳥たちもたくさん来て、百舌や尾長は慌ただしく出入りし、椋鳥は戸袋に巣をかけようとします。独特な鳴き声に外を見ると、町のシンボルの小綬鶏(コジュケイ)が庭に来ていて、ゆったりとした動作でなにか啄んでいます。何故かいつも三、四羽一緒です。体長はチャボくらいで、四季を問わず訪れてくれます。丸くフワフワした感じのこの鳥を心待ちにしたものです。ファイル 701-2.jpg
    
 このように自然に恵まれた生活も、五、六年で緑は少しずつ消え、借景として楽しんでいた隣接の植木畑はアパートに変身してしまいました。
    
庭では鳥たちのプレゼントの見知らぬ木の苗が何本芽吹いたことでしょう。山椒の木もそのひとつで、気付くと敷石の隙間や生け垣の下などで10cmくらいに育っています。門を入った直ぐの所に生えた苗は、場所がよかったのでそのまま残し、何年かすると揚羽蝶が舞うようになりました。幼虫の観察が楽しみですが、大抵「四齢幼虫」になると鳥に連れて行かれてしまうので、蛹になれるのはほんの僅かです。
 
あれは、もうすぐ新しい世紀が来る…といった頃のことです。いつものように山椒の木を覗いて驚きました。終齢幼虫が身体を長々と伸ばした無防備な姿で目立つところにいるではありませんか。見ていると全く動く様子がありません。そっとつつくと、少し体を縮めます。でも、いつものようなピンクの角も、臭いも出しません。その状態が一週間くらい続きました。
 
そしてある日、幼虫の緑色の体から、3cmくらいの翅のある虫が飛び出したのです。二匹、三匹…と続き、十匹くらい出て行きました。
 
翌日、図書館で「ファーブル昆虫記」を読みました。『幼虫の体から出て行ったのは寄生蜂で、それは他の虫の胴体に卵を産みつけ、その卵は直ぐに孵化し、不完全変態なので一週間くらいで羽化する。その宿主となった個体は二週間くらい生きていて役目を果たしてその命が終わる』とありました。
 
自然界でごく普通に営まれている生き物の連鎖のほんの一瞬を覗いただけのことですが、忘れられない出来事でした。
 
今は、周りの環境はすっかり変わり、鳥も来なくなりましたが、四季折々必ずめぐり逢う花々に慰められる小さな庭です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
婦人会リレーエッセイは今回で終了です。婦人会全員の皆さまにご寄稿いただきました。ありがとうございました。次回からは特定のグループに所属していない方々にご執筆をお願いいたします。よろしくお願いいたします。お楽しみに。(広報委員会)

関東・東北豪雨被災 その後 H.M

9月10日、その日から約1ヶ月半が経ちました。「もう、そんなに時間が経ったのか」という感じがします。一方で、水が引いた自宅に入った時の事が遠い昔のことのようにも感じられます。現実感のないままに思いだされます。不思議な感覚です。

今は実家に寝泊まりし、自宅に通う毎日です。
床下の消毒は専門業者にお願いし、今は大工さんが連日自宅の修復にあたってくれています。大工さんの仕事が終わってから、壁紙貼りや建具の補修に経師屋さんが入り、床の消毒やワックスがけのためにもう一度専門業者に来ていただく予定です。その後に必要な家具や電気製品を用意し、自宅で生活できるのは11月中旬以降になるのではないかと思います。
 
今回はいろいろな繋がりの方々にお世話になりました。教会ボランティアセンター」からも何日もお手伝いをいただきました。教会の交わりにあるMさんは汚れたものを洗いものをしてくれました。地区女性部のつながりの方々が「水海道教会ボランティアセンター」を通して手伝って下さいました。

またHさんは「何か欲しいものはない?何でも言って」と電話をかけてくれ、「果物が欲しい」というととびきり美味しいオレンジ、葡萄等を直ぐに贈って下さいました。また、Iさんはタオルや手袋を大きな袋に詰めて送って下さいました。教区教会婦人会連合で親しくさせていただいたKさんは友人二人を伴って丸一日手伝って下さいました。一人はエマオでのボランティアの経験者、もう一人はボーイスカウトの野外活動指導者ということで、本当に手際よく働いてくださいました。
 
ボランティアに来て下さった方に「どちらから?」とお尋ねすると「〇〇教会の牧師です」「他教派の〇〇教会の牧師です」とのお答えが返ってくることも何回もありました。そういう偉い先生方に遠慮もなく「あれをして下さい、これをして下さい」とお願いしてやっていただきました。軽4輪持ちこみで、ごみ出しをして下さった先生もいらっしゃいました。
 
また、常総市社協ボランティアの方の助けもいただきました。その中に障害が見受けられる青年がいました。お母さんらしい方が「私たちは二人一組で働きますが、それでいいですか?」と仰られて、雨戸などの洗浄を一生懸命して下さったことが印象に残っています。お母さんの勇気に感動しました。皆さん、一様に気持ち良くどんな仕事も嫌な顔をせずに引き受けて下さったことを感謝しています。そして、感動しています。
 
これらの皆さんの働きに促されて、私も自宅の片づけが一段落した時に、「教会ボランティア」の皆さんと一緒にMさん宅の片づけを手伝う事が出来ました。まさに事情は様々で「スローワーク、その家の事情に合わせて」という言葉が身に沁みました。一緒に働く事でその方の思いを理解し、先へ進む手助けが出来ることも学びました。
 
「気分転換に…」という言葉を添えて香水を贈ってくれた方がいました。こんなときに全く実用的ではない香水のプレゼントは、泥の臭いや消毒液の臭いが普通になっていた私にとって、思いがけなく、とても嬉しくなりました。
 
「何も出来ないけれど…」と言って祈りの言葉を添えて、丁寧なお見舞いの手紙を下さった方々もいました。今回の被災を通して、本当に多くの方々に温かい言葉をかけていただき、お手伝いいただいたことを心から感謝しています。
 
また、私の直接知らない方々も、私の知らないところで祈って下さっていることを感じます。
 いかなる時も揺るぎのない神様と、温かい思いを持って、様々な形で接して下さる方々に支えられて日々を過ごしています。

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